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2023年01月25日21:19

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恋の罪

『恋の罪』(2012年)
    つぎはアオイホノオのエース、そのしおんである。恋の罪。本作とラヴ&ピース、エッシャー通りは比較的嘔吐感を得ることなく、むしろ愉しんで観れる。でも前回観たときはかなり気持ち悪くなったな、けれど今回はなんだか快感する。本作かなりHである。Hは変態の頭文字、そうした意味でもかなりHである。
    園テクストはなにか独特の昭和的辛気臭さを感じるのだけれど、それは本作では、伴奏というかBGMというか、それが昭和40年代の昼メロや大映ドラマ的な感じで、それによって感じられる、となる。この昭和風なメロ、けっこう園テクストに表されているよね。
    女性3人の姿が表される。いずみは闇を求め、尾沢美津子は闇に生き、刑事である吉田和子は闇を追う。憧憬の場所、闇。シニフィエならずシニフィアンそのものが身体となる。触れられ感じられる実態にして意味をもつもの身体そのもの。ナミダもヨダレも実態を伴い、意味を快楽する。いずみの最終盤の放尿も、実態となれる解放感となる。シニフィアンの戯れ、それは意味を実感するということ。
    ストレスとマニュアルばかりの現代社会、そこから非日常への脱出。吉田和子の不倫相手は彼のコントコンビの相方が現実世界でやっているであろうような行為を彼女にほどこす。いずみはマニュアルから逃れ自らの美しさを快感する。そして尾沢美津子は闇という実態をじっとりと彼女自身の美しさとして生きる。意味を感じる戯れ、ミーニング、醜いものの進行形。それは意味を実感するということ。
    意味のない言葉を吐き出す男たち、されど彼女たちはまずはじめにそれらの言葉に快感している。ロゴスの愛は、胸にナイフを刺し死ぬ女性のように蝕むもの。実態という意味を実感することなくあの世へ旅立つ。或いはそこは、三人の女たちが憧憬する闇と同じ場所なのか。恋する場所へ憧れることから生まれる罪なのか。彼女たちはまだ本当の罪を知らない。いずみと美津子はレズへと死する。ふたりはレズへと死するのDEATH。

    アンジャッシュ児嶋、アクターとしても引っ張りだこだけあって、さすがである。出番こそ少ないけれど、コントで養ったアクト力、主人公を迷路に引き込むトリックスターの役割を存分に発揮する。相方は、おひねり剣劇とアクション活劇で精神と身体を鍛えあげた水野美紀。どこにいる?と児嶋、すると、水野は「わからん」と応える。コントである。ふたりの掛け合い、作品をユーモラスに締めくくる。

    されど言葉は我々にもう備わっているのであり、決別できないもの。逃れられないからこそ、苦悩する。美津子の母は苦悩から逃れられなかった。それでは、彼女を手助けするいずみは?美津子の願いを受け入れただけなのか。そうではなく、彼女自身の自立した心で罪を犯したのである。罪は苦悩を知らないからこそ罪となる。いずみは解放され放尿する。彼女は罪をもはや意識してない。それでは美津子は、なぜ自殺サークルの女子高生たちと同じように、死を求めるのか。快楽か。わからん。
    セックスは快楽か。イエス。感じられるものが実態か。イエス。それでは、死は。ジーザスクライスト。城は探し求めながらも探し当てられない。未知だからこそ快楽がそこにある。わからんからこそ、それが快楽となる。憧憬の闇の前でラスト、和子はたたずむ。和子もやがて来る未知なる死へと向かい始めている。

    本作に平成の様相があるのか。基になった東電OL殺人事件はそうだけれど、イタみの快楽は昭和にもあったし令和にも引き続きあろうし、でもイタいヒトはバブルの名残か、それが多く言われた時代である平成はやはりリストカット備わった一番イタいタームなのかもしれない。あしたのジョーや星飛雄馬が表した痛みとはかなり違う、ヒシヒシとしたイタみは園にしても岩井にしてもあるのであり、それは平成の空気感の特色なのではなかろうか。痛みといえども、それはポジティヴな体となってそこにある。平静。



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