氷の微笑おもしろかった。最初の方は、12モンキーズやファムファタールと同じようにハーマン調音楽の調べもあって、デパルマやヴァ―ホーベンを選んであえて観ているというよりも、まるで三作続けて、ヒッチコック、それも特定してめまいのオマージュ作品を観ているかのように思えていたけれど、男勝りのシャロンが自己主張してくると、本作の特色が目立ってくる。ゲームで劣勢にまわるというよりも参加し続けながらも眩暈し続けている感覚のダグラスに導かれるように、残忍と不可解が連鎖する夢巡りなセンスが本作には表される。終わり方も、ハリウッド・クラシックらしくご都合主義のハッピーエンディングかヴィクトリア朝サッド・エンディングかどちらかのヒッチコックに比すると、不可解な余韻で気持ち悪さを引きずる。男性から理性と責任を取り払えば女性になると誰かが言っていたが、男性優位主義者的な発言に思えるが、女性にも理性と責任はあるだろう。ただ、男性の考えるそれとは違うのかな、と思ったりもするも、本作のシャロン(ただし、彼女が女性一般をイコールしているとは言わないし思わないが)は世界をカオスする責任感と理性の持ち主なのかな、となる。ある意味、ロボコップの制御できない企業側巨大ロボット、もしくはヒース演じるジョーカーである(ホアキンの場合はそのキャラの起因がはっきりさせられているから、カオス度が減じる)。ただ何気にゲームを愉しむではなく、世の中カオスじゃなきゃつまらねじゃね?的な前向きに世の中と対峙している責任感と理性がシャロンが肉体化するキャサリントラメルにはある。原題で言えば、それはシステム化されるではない欲動であるサントームであろうが、それをあるがままにあるために大事にするべく、彼女はそのアブジェクション、世界と対峙する。ヴァ―ホーベンのオランダ時代の作品のタイトル如くに、まさに危険な愛である。
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