時計じかけのオレンジおもしろかった。私の記憶が正しければby鹿賀なんとか、ケンラッセル の肉体の悪魔と恋する女たちや、こちらはけっこう最近だったのでまだ覚えがあるけど、ヴィスコンティの地獄に堕ちた野郎どもやイノセントはセンシュアルだけれど、本作はかつて観たときは暴力の連鎖で、ハンドヘルドのカメラで船酔い気分になるわけでもないのに、船酔いと同じようなムカつきが生まれた記憶であるが、アレックスが第九を克服したように、イギリスのどんよりした空気感を克服できたからか、今回はセンシュアルに感じるのである。本能はやはり暴力的なものに通じるのか。あと、システムとか本質とかあれこれ難しいこと考えずに観たからかな、まるで博士の異常な愛情を見ているかのように、あっこれ、まんま博士の異常な愛情じゃん、となる。キューブリックのSF三部作では異常な愛情が一番好きで、2001は高尚すぎて(市民ケーンも私には高尚すぎる)、本作は前述したように船酔い状態だったのだが、今回は博士の異常な愛情な感じの愛着を感じるのであるのであった、とさ。社会風刺のコメディなんだな。キューブリックの全部だとは言えないまでも、でもなく、見方をそうしものに査定してしまうと、全部がコメディなのかもしれない。大臣の手前勝手な人民操作は、動員を促すプーチンを想起させられるけれど、アレックスも元の彼自身に戻れて嬉しそうである。社会の在り方も個人のあり方も、エスディージーズとかコンプライアンスとかお利口さんするのではなく、そもそもが暴力的な本質に従うのが、人間的という意味にも感じられる。
ps
風刺だから、中立的、というか、キノプラウダというか、ああしたクールなカメラアイにするのか。扇情的なカメラアイ操作をして暴力をロマンに結びつかせる意思はキューブリックにはないだろうし、風刺する故に、距離を置くのか。そして、ナラタージュやセリフ、映像の置き方が小説的なんだな、と今回初めて気がついた。
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