大酔侠を観る。おもしろかった。キンフー映画はたぶん初見である。
☆負けん気が強くて自身のパワーを過信する女性はグリーン・デスティニーとグランド・マスターのチャン・ツィイーに継承される。武侠片にはこうした武侠女性ヒーローは多いのだろう、そしてキンフーがその典型をまずは作ったのだろうか。
☆ブルースリー作品をはじめ数多あるカンフー映画に表されるような、ワルにいたぶられ続け、それを我慢して我慢して、というのがなく、ワルも主人公たちも同等に立ち合い、でも主人公たちが別格に強いというのが、安心をもたらせストレスなく観賞させてくれる。
☆酔っ払いヒーローは酔拳などもあるけれど、香港映画の典型的な主人公像のひとつなのだろうか。人間味を出すいうのでもそれはいいのだろう。ただし、飲みすぎになると人間味から離れて暴徒と化すものになるから気を付けなければならないだろう。また、酔っ払いを表すことは偽りの姿と本当の姿の落差を表すにはもってこいのでもあろう。
☆音楽のパーカッションの入れ方は佐藤勝的であったけれど、アイデアはくすねたものなのだろうか。そういえば、ブルースリーものでもパーカッションがこんな感じだったけれど、音的に黒澤節は香港映画に遺伝しているかのようである。
グリーン・デスティニーとグランド・マスターをまたもや観たくなってくる。どちらも武術指導はユエンウーピンなのか。黄飛鴻と関徳興が築いた武片の伝統を、アンリーもカーウァイもぞんぶんに魅せてくれるだろう。
アンリーの作品群からの、いわゆるテクストのこれまでのイメージは「忠義の尊厳とインディペンデンスという相対するプロセス、主人公の迷いがフリーダムへと向かうなかに表される。」である。それも活かされているのか。
カーウァイの作品群からの、いわゆるテクストのこれまでのイメージは「うつろいゆく時間に、ノスタルジアに浸るポリフォニーが奏でられ知る由もない未来を悦楽する人物たちが表される。」である。それも活かされているのか。
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