11/21(日)NHK-Eテレの「クラシック音楽館」はNHK交響楽団第1939回定期演奏会、ブロムシュテットの指揮によるブラームスのヴァイオリン協奏曲とニルセンの交響曲第5番が放送された。
・収録 2021年10/16東京芸術劇場コンサートホール
ヘルベルト・ブロムシュテットは、スウェーデン人を両親に1927年アメリカ合衆国で生まれた。今年94歳。歩く様子は少々お歳を感じるが、指揮ぶりは変わらなかった。
年齢もさることながら、世界が新型コロナ禍にあって本当によく来てくれた。
そして、聴かせてくれた音楽の何と素晴らしい事!涙が出た。
彼は本当に無垢な子供のように音楽が好きなのだなというのが、彼の一挙手一投足や表情に表れていた。
今回はデンマークの作曲家カール・ニルセン(1865-1931)の交響曲第5番に絞って書くつもりだが、冒頭のインタビューでブロムシュテットはこう言っていた。
「ニルセンはブラームス(1833-97)の後継者です。
デンマークの国境はドイツの北でつながっていて、両国の国境は歴史上あちらこちらへと動いています。人々も両方の言語を話します。
ブラームスの一族はデンマーク国境の近くの出身です。
しかし、これは地理的な話です。
重要なのはニルセンの音楽原語はドイツ音楽の発展形だという事です。
彼はドイツの古典派とロマン派の伝統を受け容れた上で、独自のやり方で現代化しました。
特に和声は独特です。しかし、ドイツの伝統の後継者なのです。
ブラームスのあと、ドイツ音楽は別の方向に行きました。R・シュトラウスやレーガーです。でもニルセンはその路線は取らず、ブラームスと結びついていました。
古典的でロマン的ですが、勿論半世紀あとなので新しい時代性も聴きとれます。
特に和声はずっと自由で、シェーンベルクのような無調ではないものの、調性を拡大しています。
澄んだ美しい響きで、音を飾りたてずに、一つ一つの音を大切にしています。」
プログラムは前半にブラームスのヴァイオリン協奏曲(Vn:レオニダス・カヴァコス)、後半にニルセンを置いたもので、それはブロムシュテットの認識から来たものだったのだろう。
ニルセンの交響曲第4番,5番はユッカ=ペッカ・サラステ指揮のフィンランド放送交響楽団のCDを2016年に聴いている。
以下参。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950151084&owner_id=3341406
また、交響曲第2番はパーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響を、2019年に放送で聴いている。《4つの気質》という変わった副題を持った曲だ。
参)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1972944446&owner_id=3341406
改めて並べてみると、ブロムシュテット/スウェーデン、サラステ/フィンランド、ヤルヴィ/エストニアと、やはり殊に北欧の指揮者が共感をもってニルセンを演奏している。彼の交響曲を世に知らしめる功があったのはバーンスタインらしいが、私は聴いていない。
時代背景等の概略は既に書いているので、今日はなるべく重複を避けてレポートしようと思う。
交響曲第5番Op.50は2つ楽章のみでできている。そして、それぞれが2つ(終結部を分ければ3つという数え方も)、そして4つの部分で構成されている。
第1楽章の第1部はテンポ・ジュストの指示の乗って、ヴィオラのドとラの16分音符が繰り返される音形で始まる。それは宇宙の波動のようでもある。ここには情感はない。
その上に2本のファゴットが影のように入り込んでくる。
そして、しばらくするとクラリネットとフルートが極めて特徴的な旋律を奏する。
交響曲第4番もそうだったが2つのものの対立(闘争)が、ニルセンでは重要な構図となっている。
この旋律には破壊的なイメージがある、それは第1次世界大戦(1914-18)の傷・記憶かもしれない。この曲は1920(21年説も)〜22年に作曲された。
このメロディは、それより前の茫漠たる音楽とは明らかに違っていて、弦楽器群と痛々しく抗争し、次第にその歪は膨れ上がっていく。
第1部の後半では小太鼓が軍楽隊のリズムで登場する。最初は暗いが、次第に強圧的になっていく。
第2部のアダージョ・ノン・トロッポは対照的にト長調の楽観的な雰囲気。
しかし、第1部の破壊的なテーマも時折り見えたり隠れたりする。
そこへ、オーケストラとはテンポも拍も違う小太鼓が攻撃的な態度で割り込んできて、驚かされる。
クライマックスの終結部、最後の50小節には、「まるでどんな犠牲を払ってもオーケストラの進行を止める事を望んでいるかのように」と作曲者は書いて、小太鼓に激しい即興演奏を求めている。
この相克と闘争ののち、クラリネットと小太鼓は、もの悲しくも次第に消え入っていく。
第2楽章はアレグロの提示部とコーダの間に、2つのフーガ(プレストとアンダンテ・ポコ・トランクィロ)を挟む構造になっている。
調性は次々と変化していき、第1楽章の調性で終結するという伝統的な手法からは意志的に離脱している。ニルセンは、交響曲第4番からもはや基本調を明記しないようになった。
彼の調性は、ブロムシュテットも前掲のインタビューで言っている通り無調の方向には突き進まなかったが、極めて発展的で特徴のあるものになった。
第2楽章では、第1楽章で灰塵と帰した地平に新しい世界が起ち上がっていく。
第1部のうねるようなメロディは、まるで生き物のように急ピッチで都市が建設されていくのを想像させもする。
一瞬の全休符のあと、オーボエがブラームスの交響曲第3番フィナーレの美しいメロディを歌いだす。
それはオーケストラの各部で繰り返されていくに従い微妙に変化して、ニルセンの主題として確立する。
弦楽が無窮動的な動きを続けるその上で、変貌したニルセンの主題が各楽器で奏され、次第にカオスを呈してくる。時に鋭い不協和音の咆哮も。
ヴァイオリンの無窮動は更にスピードを上げ激していくが、遂に力尽きてトーンダウンする。
ここで第2部、スタッカートが連続するプレストのフーガが始まる。
静かにスタートしたフーガだが、せめぎ合ううちに対立が生まれ、闘争の様相となっていく。
その頂きで、2本のクラリネットは殆ど狂気のように動き回り、危険な兆候を見せる。もう何が起こるか分からない状態である。
しばらくするとフルートに静謐さを呼び戻させるパッセージが現れ、水を掛けるように繰り返して周囲を冷やし、テンポも落としていく。
そこで第3部のアンダンテのフーガに入る。
第1ヴァイオリンに現れるこのテーマは、第2楽章第1部のメロディの変形で、今度は優しく穏やかに歌う。
この静かな歌は、弦群のあとファゴット、フルートへと手渡されていく。
テーマが突然に変化、遂に第4部のコーダに突入する。
ブラームスの旋律の変形でつなぎ、アレグロの第1部へと回帰していく。
急速に活気に満ちたクライマックスをこさえると、最後は大きくリタルダンドし、オーケストラの全楽器がフォルテシモの音を長く歌いきって、この交響曲は閉じる。
ブロムシュテットは深くひと呼吸し、満足な笑顔を見せ、客席を振り向く前にオーケストラの面々に感謝の合図をした。
まず指名して立たせたのはクラリネット奏者、そして小太鼓、フルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、ティンパニ、トランペット、トロンボーンとチューバ、最後に弦全員。
それからようやく客席を振り返って笑顔と礼。
ブロムシュテットはもう一度オーケストラ全員を椅子に座らせ、再度、クラリネットと小太鼓を立たせてありがとうと手を振った。
ご時勢であるからブラボーこそないが、客席の拍手はいつ迄も鳴りやまない。
オーケストラの面々もブロムシュテットに大きな拍手を送る。
すると彼はスコアを左手に持って客席を振り返り、その表紙を右手で叩いて、自分の満足と歓びを表現した、それらは全てこのスコアに詰まっているのだとでも言いたげに。こういう風景は見た事がない。
ホールの聴衆も全員が立ち上がってそれに応えた。
これ程密度の濃い演奏会を聴く事ができ、更にブロムシュテットと共感を分かち合えた客達は本当に幸せだったと思う。
そうして、彼はオーケストラのメンバーを退出させても、指揮台から聴衆に感謝の礼を続けた。
コンサートマスターだけは高齢の指揮者を置いていけないと見えて、ステージに残った。
最後は2人して、微笑みながらステージから去っていった。
それでもまだ立ち上がった客の拍手はやまなかった。
今でこそ、ニルセンの音楽に多くの人々が感動しているが、この革新的な交響曲第5番(特にその第2楽章)は、聴衆からも評論家からも永く理解を得られなかった。
第2楽章は様々な要素が入り混じって、複雑極まりない。最初は建設的だが、次々新たな対立が生まれてくる。
あるニルセン研究者は「来るべき第二次世界大戦を予兆しているしている」とさえ書いている。
ニルセンは1931年に没したので、第二次大戦は知る由もないのだが。
インタビューでニルセンは、この交響曲を作曲していた時には第一次大戦の影響は考えていなかったと言っている、しかし「我々の誰一人として、戦争の前と同じではいられない」とも添えている。もはやこの世で単純な勧善懲悪を信ずる者はいなくなったのだ。
手書きのスコア原稿の裏表紙に「暗黒の中の密やかな力、敏感な力」とニルセンは書き込んだ。
だが、当夜の演奏は、決して絶望に満ちてはいなかった。
ブロムシュテットは過去にニルセンの交響曲全集の録音を2度している。
最初は1973〜75年、デンマーク放送交響楽団と、2度目は1987〜90年、サンフランシスコ交響楽団と。
それだけ愛着があり、深い理解と共感を持っているのだろう。
冒頭のブロムシュテットの話の中にあったニルセンとブラームスとの関係について、書かれているものはあまりないが、知り得た範囲で最後に触れておこう。
この交響曲の第2楽章で、ブラームスの交響曲第3番フィナーレのメロディが使われている事は既に書いた。
また、本定期演奏会のパンフレットに、指揮者で北欧音楽の研究家でもある新田ユリは書いている、
…1894年11月、29歳のニルセンは交響曲第1番の初演後、そのスコアを持ってウィーンのブラームスを訪ねた、
「しかし紹介の労をとった友人と話し込む61歳の巨匠からは、時折り凍りつくような視線が投げかけられるのみだった」と。
もう少し詳しい話を聴きたいところだが、記述はこれだけ。
32歳年下のニルセンはブラームスの音楽を崇敬していたが、完璧主義、内向的で表現力に欠け、老域に入って頑迷なブラームスは、初対面のニルセンの音楽を理解しなかったのだろう。ワーグナー,ブルックナー,ハンスリック等、ブラームスには数多くの対立があった事もよく知られている。
ブラームスはこの出会いの3年後に没する。
1890年代に入ってからのブラームスは創作意欲が衰え、同年には作曲を断念しようと遺書さえ書いた。晩年はクラリネットのための作品やピアノ小品等、作品は極く限られる。
若いニルセンには気の毒な出会いだった。
〈参考資料〉
書籍
・NHK交響楽団第1939回定期演奏会パンフレット
執筆 新田ユリ
発行 2021年10月
・『最新名曲解説全集 第2巻〜交響曲�供�
執筆 (ニルセンの項)菅野浩和
発行 第1刷1979年,第12刷1998年音楽之友社
Web
・Wikipedia「ニルセン」、及び「交響曲第5番(ニルセン)」
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