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2021年11月25日12:54

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フランス映画祭 2021 IN 福岡


フランス映画祭で3作品を観る。ウイストルアム - 二つの世界の狭間で(OUISTREHAM)。公演後、会場の向かいにあるスペースで、アンスティチュ・フランセの人たちや観客の人たちと作品について語りあう席がもうけられる。おひとりの方が、ビノシェと彼女の身近な友人ふたりとはかなり感情的になっている分、今後においてまだ友情を取り戻す可能性を感じると言っていて、深く付き合った分それはなるほど、と思ったけれど、その後よりも作品そのものではある。そこを観るにあたりやはり、ラストの相反、特にビノシェを背にするようにバス内に立つふたりの構図に感じられるものは、世にある欺瞞だろうか。そこまで強い言い方をするでなくば、へだたりか。貧窮は韓国だけでなく、日本もアメリカも、先進国においても描かれているわけであるが、ディクタシオンといったアイデアをブルデューが考えるフランスでは日本人が考えるものとは違った感覚のものがあるのであろうから、本質は捉えられないけれど、あそこには乗り越えられない壁があるように思える。いま考えついたけれど、語りあう席で思いつけばよかった。フランス人たちの反応を知りたい。思春期 彼女たちの選択(ADOLESCENTES)。モキュメンタリーではなくドキュメンタリーである。劇映画と見まがうものであった。フランス、ヌーヴェルヴァーグの伝統はやはり凄いな。ふたりの少女を、中二から大学に入る頃までを追うから5年ぐらい撮影しているのだろうな。フラハティのように現地から連れてきた人たちをキャストしてやったわけではないだろうけれど、それでもたぶん、主人公のふたりはホントに幼馴染だろうけれど、彼女たちのグループにそうした仲の友人が何人かいて、最初は数人を追っていくなかでふたりに絞り込まれたのではなかろうか、ふたりの親近感はそこまで強くはなかった。そこらへんは創り手からすれば、さほど、どうでもいいことなのだろう。ありきたりの会話しかしない。高校時代になると別々の高校なのだろう、違う友人とつるんでいたりする。親との確執の方がフォーカスされる。やはり思春期である。人類学的に思春期のイシューを切り取りする。思春期を扱っていても、トリュフォーのようにファストモーションなんかの遊びを入れず、カメラアイは彼女たちをじっと捉えていくので逆に、ナラティヴ度がとても感じられる。最終盤は、主人公ふたりに語らせるので、なんだかな、わざとらし、となるも、それでも劇映画を観ているようなセンス感じさせるものある。そこはやはりおもしろかったのである。カブールのツバメ(LES HIRONDELLES DE KABOUL)。東京のときも馴染みなかったし福岡ではなおさらである。しかし、フランスではよりイスラムは身近なのだろう。アルジェリアもイスラムだよね。つばめは自由の表象なのだろう。リバティの表されが、日本では表されないような、フランスなエスプリに思えるものがある。精神的な伝統か。ブルカにすっぽり包まれた女性に石をぶつけて公開処刑。それは惨たらしく残忍。本当にあるのだろう。ハーレムのような場所で快楽に酔いしれる指導者の姿も表される。やはり男性の覇権が強く表される。想像を超えたことがやはり世界のどこかで行われている。


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