ジュネの女中たちやベケットのゴドーが好きだから、こうしたゴッコ劇の様相は好きだけれど、相米慎二も森田芳光もどちらもゴッコ劇の様相をもつ。ところでセーラー服と機関銃とションベンライダー、学校でクルマで連れていかれる、デブのメインのワルではないけど存在としては大きな記号的ワルとしての在り方、そして、これは相米テクストに多く表されていると思うが、悪ガキへたれ系3人組というもの、あれこれ似ているところは2つの作品にあるから、なんだかメジャー角川に対抗するリヴェンジ的な様相も感じてしまう。そしてそうした計略これもまた、ゴッコに思える。あさま山荘事件が起こり太陽にほえろが始まった72年を過ぎ、76年の雑誌ポパイあたりから日常に目を向ける表され方が生まれてきたと言われるが、ホットドッグ・プレスに平凡パンチ、一億総ハクチ化が推し進められるとき、ゴッコはゴッコでもそうしたカタログ文化寄りに表現されていたものが森田なら、もっと決別できない精神性をもってゴッコとなるのが相米ではなかったかのような気がする。
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