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2021年07月02日11:49

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リンチとタランティーノ、或いはイマージュその29

仮説。

☆リンチとタランティーノ
  ボディは現存在(自己を現にそこにあるものとして自覚する存在)として捉えるとき、”アメリカ”のもと、人間的実存として記憶される。スピルバーグならアメリカ国民としての責任、リベラル、が問われたり、イーストウッドであれば、フロンティア孤高の末裔とは誰かが描かれたりするも、リンチとタランティーノにおいてアメリカ人の国民性が問われることはない。しかし、アメリカはシュアリー表さられる。そこはクールジャパンでもなければ、アートの都巴里でもない。シュアリー、アメリカなのである。アメリカという寓話。スコセッシの贖罪に悩むひとりの人間ではなくアレンの愛が訪れないことによる不安なのでもなく、倫理という以上に、そこには”アメリカ人”がいる。 

☆イマヘイワカマツシンドウ
  盆踊り的ボディが表される。ボディは生きると闘争の戦後を体現するものとして存在される。デモクラシー、ヤミイチ―、セキュリティトゥリアティー、ヘイワとフッコ―、ゴジラにアトム、アートシアター、カウンターカルチャー、エーティージー、状況とテンジョー、ピンクにプロヴォーク、写真時代と原宿。身体を失いつつある時代が到来しながらも、我々日本人はどっこい生きている。

☆コリンノエカラックス
  世界に在る恐怖と自己に宿る官能のイマージュが表される。エレジーでもエロ爺でもないもの。ポエジーである。

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