『運び屋』
☆主人公のモデルとなったレオシャープ、なんとなくイーストウッドと似ている。主人公は悪の華に染まりかけるが、イーストウッドらしく花への執着もまたキーとなる。
☆多くのレジェンドを語ってきたイーストウッドであるがもはや彼自身がレジェンドになっているジスタイム、オーディエンスの無意識にはそのことはしかと語らreしおん。今作で彼が演じるのは、クルマで言えばナビ的な感じ、そんな指示され規定通りに歩むでなく、人生は愉しむもの、感嘆するもの、として思うように生きている主人公である。サスペンションをサスペンスするセンスのなかで、主人公は”アメリカ”の後継者たちに諭しながら、マイペースに人生を愉しんでいる。育ててきた花と同じように麻薬も幸せを運ぶ種とするレオシャープがレジェンドとして崇められているのかどうか分からないが、イーストウッド伝説が体現化する主人公はそのイストワールを年輪とともにしかと表す。
☆背中に丸みを施し身体の震えもいれるイーストウッドのアクト、よい。センチメンタルジャーニーやホワイトハンターなどでのダメンズぶり、ぜんぜんダメンズで、ダメンズぶりが表されていなく、ただただデクノボウであったし、こうしたダメンズやらせたらやはりバートレイノルズの方が格段輝きだすんだ、となるも、今作ではもはやダメンズ演じるのは諦めたのか、ダメでも毅然とした人の輝きをもつヒトとして、イーストウッドらしさとはこれだというセンスで表現する。また、この主人公は警官からジェームズスチュワートに似ていると言われ嫌な表情をするが、彼自身イーストウッドとしてもこの作品に存在しているかのように表現を施しているのではないか。レジェンドは彼自身もダブらせながら、イストワールを捲りめくる。
☆自由において物わかりのいいアンディガルシアは消され、規定通り暗黒社会は徹底される。スマホの使い方もままならない古い人間の主人公は、機械であることを拒み、ヒトの気持を大事にし思い遣りを忘れることはない。彼は、道路で困惑しながらも機械に頼り切ることしかできない家族を助けてあげる。彼は威勢を張っていながらも規定通りにしか生きられない仲間を、マイノリティーに対する強い偏見から守ってみせる。彼は家族を裏切り続けてきたことを後悔し、”アメリカ”の後継者に家族を愛することを託す。つながりという不可解性に生きるアメリカに、曖昧ではない愛を見出そうとしている。主人公は妻のもとに戻る。イーストウッドは『許されざる者』の妻が眠る墓の前に立つビルマニーや『ミリオンダラー・ベイビー』のベッドのマギーに語りかけるフランキーにも表されるように、男の生き様は愛が支えてくれること、男の立ち位置は愛がなければ成り立たないことを遂には表す。
☆あのいきなりの逮捕劇もカルテルにとっては番狂わせの妻の病状の悪化もまたイーストウッドらしいミステリアスであり、神のご加護ではなくともなにかのご加護かのようにいきなり興る選択もたらすものであり、自らをギルティと談判することは反省なのではなく、アメリカの正義を表すこと。それもフロンティアンの子孫らしくイーストウッドらしさを映画に体現する。
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
☆過去への憧憬は”アメリカ”にあり、そして未来への期待の眼差しも”アメリカ”にある。ホームという”いばしょ”と理想という”いきがい”はまだあやふやなものとして大衆は見つめている。若者たちは嘘の隠された戦争報告を信じベトナムに駆り出される。大衆の知らないところでもはやホームの揺れは起こっている。信じられるアメリカはもはやそこにはないにも関わらず、社会は進歩主義的に前に突き進んでいる。ジャーナリズムはその社会のなかで真実を知らせる義務を負っているはずである。しかしながらニクソンはトランプ同様、気にくわない奴らを廃絶する。父性的存在の欠如は家族的社会を成り立たせることはできない。政府は報道の自由を規制してはならない。民衆は報道操作に惑わされてはいけない。止めようにない揺れが起こっているがゆえ、主人公たちはそれに向き合う。
☆子供のような好奇心溢れる主人公に、ハンクスだけではなくストリープもまた適任である。思えばメリル、かつては薄幸な女性のイメージから、ときにはグレンクローズのお株を奪うかのように永遠に美しく…を、あるときはまた意思の強さをいくつかの作品で毅然と体現してきているが、いつの頃からか、天真爛漫で無垢、しかしながら意思はしっかり表す女性を得意として、彼女のイメージとして定着させている。
☆『怒りの葡萄』の世間、そして民衆にさえも壁をつくっていたトムジョードは遂には壁を壊し民衆を助けるべく旅へと向かい、インディアンを憎悪する捜索者イーサンエドワーズは遂には姪のデビーを追いかけ抱きしめる。同じように、スピルバーグの民衆は猜疑心を取り払い他者として見ていた者たちにハグをする。受け入れると同時に自身の意思を表明するのである。民衆にはエリオットや『未知との遭遇』のロイニアリーの持つ童心が育まれている。彼らは導かれる。素晴らしき哉、人生!!ジョージベイリーは天使を助けるべくすぐに川に飛び込み、『ある夜の出来事』のキングもまたブルジョワとしてではない何者でもないエリ―のためにヨットから飛び込むように、『オールウェイズ』のピートは水に沈むドリンダを救い出し、トムクルーズは家族社会あるいは家族的社会を救済するべく果敢に危険地にダイブする。彼らには人を導く資質が備わっている。彼らは民衆を導いている。そして彼ら民衆は垣根を取り払い互いを信じ合おうとしている。互いを理解をしようとトライしている。『大統領の陰謀』のあのふたりの新聞記者もワシントンポスト紙かと知り、それではあの主幹ってハンクスとジェイソンロバーズが演じた同一人物なのかと調べると、なんとそうなのである。ロバーズにはハードボイルドな香りしかしなかったけれど、ハンクス主幹は好奇心とリーダーシップが表され、リーダーシップの資質はストリープのオーナーに遂にはさらに強く表され、天真爛漫にして無垢なるものは親たちがベトナムに送り出した子供たちを救うべく、壁を取り払うことを意思に示す。ライバル社もその関係性を越えアメリカという正義を取り戻すべくポストに追従する。小市民でしかないが民衆はこの社会を表すものであり、それは決して権力者にもっていかれるものではないのである。不安な陰謀ニクソン、その後ろ姿は得体のしれない影を表すのも、スピルバーグらしさ表している。影は付きまとい、民衆は正義という目のなかに見える光を追い続ける。
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