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2021年04月01日12:10

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脳内ニューヨーク


 脳内ニューヨークおもしろかった。最初観たときもそうだったが、インプレッションはウディアレン ミーツ ヘルツォークである。アレンの神経症や女性たちとのめぐり逢い、そしてヘルツォークの理想郷を探究するロマン主義的志向。それらと同じような傾向はこの作品からとても感じられる。
 戯曲家というより演出家なのかな、クリエイターは真の現実を見つけるために創造する。セールスマンの死を彼の解釈で創作し、次は現実を紐解きながら彼自身の悲劇を創造する。それは提喩ゆえに事細かく表されるでなく、とてもティピカルに大胆端的に表される。ショットから次の時空間のショットへはけっこう矢継ぎ早。提喩ゆえに部分は全体を表す。捉えどころのできないエッセンス。
  最初の三分の一で、主人公にまつわる現代病が表される。彼自身が持つ病だけではなく、現代社会のニューヨークを取り巻く現代病が表されるのである。現代人の喪失感が社会に蔓延している。それは無意識に戯れる。創造に戯れる。現実と想像、時空間の曖昧さはそれ自体が全体を表すかのような提喩になる。クレアとの結婚式、そしてチケット売りを演じるヘイゼルから拍車はかかる。
    愛する対象を追うが、それが想像の上塗りのなかで見失われる。キャサリンターナーもミシェルウィリアムズもやがて出てこなくなる。彼女たちが誰だったのかも記憶から消えてしまったかのような残像。主人公の娘がオープニング、インディアンの口承歌を口ずさむが、語り継がれるものはその本質を見えないままにある。
      ただ語り掛ける日記は語り継がれる。しかし、語りかける娘すらもその残像は分からないままにある。演劇は完成されないまま虚構が上塗りされる。それにしても奇跡の海で可愛い声で喋っていたせいか、エミリーワトソンをよくサマンサモートンとダブってみえて間違えることあるけれど、カウフマンもそう思っているのかな、ダブってみせる。様々なダブルはエッセンスを覆い隠しながら本質を垣間見せていく。エッセンスは薄れながら喪失を濃くなる一方である。ティピカルに大胆端的に表される。アイロニーだ。
         クリエイターは見たことあるけれど誰だか分からない女性と出会う。しかし、彼女には残像がある。痕跡が語り掛けるもの、それは、、、




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