80年代〜90年代終盤までにおいて、セントラル・エピソーズのスターウォーズ(77、80、83)、ルーカスフィルムによるスピルバーグ、インディアナジョーンズ(81、84、89)が歩まれ、スピルバーグはカラーパープル(85)や太陽の帝国(87)といったドラマ路線もあるが、1941〜ジュラシックパークとほぼエイティーズ、ナインティーズではテーマパーク路線が、冷戦の終結宣言(89)、ソ連の消滅(91)、天安門事件(89)、ロドニー・キング事件(89)、ロサンゼルス暴動(92)、ボスニア紛争(92‐95)、88年からのソマリア内戦、イスラエルのラビン首相の暗殺(95)よ、どこ吹く風よと消費者文化万歳に歩まれる。そんなテーマパークの時代において、ゼメキスもバートンもちゃっかりしっかりエンタメに弾ける作品を放出し歩む。されど、ゼメキスは永遠に美しくに時代に反映される暗い陰りを、ガンプではアメリカが歩んできたイストワールの再考を、そんな中でも歩ませ、バートンは明るい喧噪への違和感に協調するようにアンブリン製作に加担することなく歩んではいる。
90年代終盤、スピルバーグにおいて、アミスタッド(97)からはアメリカへの責任と感謝路線もエンターテイメントテーマパーク路線と並行しながら、しかしドラマ映画の本数が多くを占めつつ歩んでいく。ルーカスフィルムも99年からスターウォーズのエピソード1、2、3においてこの時代はもはや紙一重と認識されてしまった善と悪を問い直していく。ゼメキスはニューエイジ路線も入り組んだコンタクト(97)でアメリカン精神をノック・トゥ・ザ・フュチャーに顧み、バートンはハチャメチャの集大成マーズアタック!(96)で混沌の時代を露呈させる。
不安も心に反映されたミレニアム、遅ればせながらにゴシックホラーなファンタジー、ハリーポッターが登場し、サムライミを迎えたスパイダーマンはダークな心を抱え持ちながら街中をパルクールし、リア充できないこの世代のためにMCUが正義を再定義する。スターウォーズではフォースの覚醒が求められ、そもそもフォースってなんやねん、と抽象概念はこれからも議論されていくであろう余地は与えられ、ディズニーもルーカスフィルムもこれからも儲かりまっせとワクワク顔の未来がすぐそこにある。スピルバーグはアメリカの責任と感謝路線をしっかり突き進め、それは彼と同様のアメリカンな映画作家イーストウッドにおいても同じこととして在る。今世紀にその傾向をイーストウッドは強めている。アメリカ映画の生き字引である彼は、その人生経験に依って伝説とは何かを語り歩む。一方、アメリカ映画の生き地獄バートンはようやく時代が彼に追いついたなか、小さな物語に住む少年少女にダーク・ファンタジーのベッドタイムストーリーを語り歩む。ゼメキスは生きづらい世界に生きる青少年大人のためにノック・トゥ・ザ・フューチャー、新しい歩みを語らしおん。未来は誰にも分からないもの、だからこそワクワクするのである。
バートンはおフレンチにオタクが似合い
ゼメキスはポップコーンがとても似合う、
それもバターたっぷりかけて的な
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