撮りだめのを観る。100分で名著の吉本隆明「共同幻想論」。ルソーがいうところの一般的意志は、我が国(ってわけでなくどこでもだろうか)では共同幻想によってもたらされるってことか。大衆の原像の裂け目(気づき)は大事だろうけれど、現在においては誰しもが腑に落ちないことばかりが世の中で蔓延してるだろうし、幻想と分かっちゃいるけどやめられないで、ウソばかり言う国家も目の当たりにしたまま受け入れている感じのコンテンポラリー。その気づきはイマヘイやワカマツ、新藤兼人の作品にピタッと来るように思えた。気づきはかつてのジャポンに確かにあったようにおもえる。今はおフレンチかぶれになってるので、カラックスもノエも、あるいはアメリカンで言えばコリン、彼らは個人幻想をのたまい、悩んだり恍惚している。社会契約論は関係性に気遣う日本人よりも、そもそもからワガママというか人は人、我は我的なフレンチやアメリカンにその統制のためフィットしているのかな。
バイザウェイ
大統領がどっちになるかまだ分からないけれど、終わったらとりあえず、このポストトゥルースやフェイクニュースの時代だからこそ、デマゴーグとはなにかの倫理的教育をもう一度見直す施行すること考えられてほしい。トランプになったらまずやらないと思うけれど。
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