『ハウス・ジャック・ビルト』
例えば、殺した主婦を運ぶとき途中でやって来た警官から逃れるため慌ててクルマを飛ばすけれど、完全犯罪を企てても計画通りに事が運ばず、急ぐあまりに、あーした感じで死体をズルズルと運んでいくこと、リアリティありまくりだな、と観てて思えてくる。奇跡の海をはじめノンフィクションなタッチ、カット割りをするいつものフォントリア―である。そしてその描写に反して、物語的ストラクチャーやテーマ性としてあるものはいつものように、寓話的説話法をもって表される。その裏に教訓話が密かに潜んでいるのではなく、その表層、表されるそのものが教訓話をファーブル的に語らしおん。いつものようにフォントリアーである。現在の絵本において描写される赤ずきんちゃんと違って、ホンマモンの赤ずきんはそれはそれはペローがえろー怖ろしい噺として表したように、フォントリア―は現実に隠れながらもそこに事実あるはずのホラーを表出せしめる。彼が描く寓話は、もちろんのこと、現代コードでは現代っ子に読み聞かせはできるものではない。彼のテクストは大人のための寓話なのである。
リア充な寓話が表されるなかで今作のフォントリアー、ヒストリー・オブ・ヴァイオレンスなアメリカを顕し、アメリカのみならず世界中の都市空間が現実的にゴッサムシティのような有様になっていることをその洞察審美眼のカメラアイによって表しせしめる。と同時に、彼が常に行う偶像を生み出すことと偶像破壊の芸術家としてのアティテュードを投影させてもみせる。そこに何か自己諧謔的なユーモアも秘められているように思わせられる。哀愁など感じさせずにドライに表しているが、そこには不安とユーモアが介在している彼自身の姿も見えてくる、そのように思えてくるのである。
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