『ヒストリー・オブ・バイオレンス』
西部劇によく出てくる、ロッキングチェアが置いてあるポーチではないけど、ルーム前に日向ぼっこできる椅子など置いてあるところから男たちが部屋から出てきてからクルマで移動するまでの横移動ショット、そこがモーテルだと分かる、その風景、いかにもアメリカが表される。そこに表される悲劇の前奏曲。エスタブリッシュショットは全編を予告する。スモールタウンにホーム、ダイナーに善人たち、チアガールにイノセンス、キャプラやロックウェルが表し今も継承されるべきアメリカの原風景。しかし、悪は確実にその場所いたるところに潜んでいる。
何度か観ているけど爽快感があると思って観始めたけど、今回はいかなる場所にもワルがはびこること、心痛く感じるのである。忍び寄る悪人たちは怖い。不吉な黒いクルマ、サングラスの下の傷、そしてなにより、主人公の内にある悪。気が付かないけれど、それは我々の身近なものとしてあるのだ。コンテンポラリー・ソサエティが生み出した現代病であるワルが在る。しかし、主人公の幻視力は暴力性に満ちながらも無垢な本能を覚醒させる情動としてあり、愛によって起き立ち、合理化されたように見える社会を革新すること向かう。悪人たちに打ち勝つだけではなく、スモールタウンの典型的なアメリカン家族社会も巻き込んだ革命が表される。そしてそれは、主人呼応自身のサイエンス・ボディの真なる革新にも繋がるのである。それにしても、ウィリアム・ハート、ちょっとした出演でのこの作品でのオスカー候補、怖さとトボケタの合併症で魅了する。結婚なんてバカがすることだと力強く論説するが、これもアンダーTheアメリカン倫理、異議申し立てされる悪なる論理。彼の2つのファミリーは改革を偶然のなかで余儀なくされる。
元のさやに決して戻ることができないホームで、主人公は家族との夕食。ホームで妻の言葉により、新たなファミリーがアメリカに生まれる。救済がそこにはあるのか。作品はそこにもアメリカに対する異議申し立てを行っている。問うている。
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