『ドニー・ダーコ』
知り合いに何人かロッドサーリング狂がいるが、ここから察するに、世界にはものすごい数のサーリング狂がいること、サーリング卿はっきっと喜びも喜びも幾年月なことだろう。私はスピルバーグのトワイライトゾーンも怖くてよく見たことないので、サーリングどころじゃないのだが、リチャードケリーはサーリングの伝記映画にとりかかっているらしいけれど、こちらはちょっと気になる。この作品ドニ―ドーコもサーリングからインスパイアされているのかな、と思わせるセンスである。とろくすっぽサーリングを観てもないのに、あのウサギの出現を見てると、そう思えてくる。その根拠は?、、根拠はないけど、直感でそう感じるのである。ジョジョラビットの少年と同じように、この少年の出会うラビットは、あのヒトラーのように内なる幻想なのかと思ったが、っていうより、直感に浮かぶものなのかな、と思えてくる。直感とは、コンテクストがあるなかで感じられることであり、行間も含め、さまざまなものがこの空間が前と後に生まれるもののなかでよぎっている。この作品の主人公もきっと直感によって自らを導いているのではないかな。そして感じられるものはいつもまわりに在る。時空間が主人公に気付かせてくれているのでは。ノーランのインターステラーにも表されているようなそれ。この作品分からないことだらけだけど、私的にインスパイアされたのは、当たってるかどうか分からないけれど、死ぬときはいつもひとりだっていうこと、そしてブッシュvs.デュカキスの88年ヤッピーだらけになりヒッピーがもうすでに亡者となっている時代、そこにおいても精神がヒッピーしている若者たちが時代を生き抜こうともがいていること。20年前のこの作品のころ、明るいその後は寧ろやってこなかったと思うので、未来をどう捉えているか分からないが、少なくとも過去を破壊し尽くすことは表されていると思える。ドリューバリモアは製作総指揮を執るにあたり、よく分からないシナリオだけど変更を一切しないことに気を付けたらしいから、彼女はいつものようにラリっていたのかな、と思われるが、E.T.の彼女自身もゴーストのパトリックスウェイジも、レーガノミクスやもっと遡ってウォーターゲートも、エコー&ザバニーメン奏でるニューロマンティクスも、すなわちいかなるエイティーズまでのアメリカの現代の痕跡も消し去るメッセが感じられる。ここで言う現在はせいぜい70年代以降だろうけれど。それでも、時代としてはそこに生きる者としてはとても大事なとき。MTV的なものとミレニアムな空間感覚が混じったような映像は過去から脱することへとラストは向かっていく。
ノーラン登場の頃はブライアンシンガーも出てきたけど、シャマランやアロノフスキーも登場の頃だけど、リチャードケリーは不遇をこうむってる感じだけどこのカルト作品、メメントやカイザーソゼほどはインパクトはない。でもって、シャンランやアロノフスキーのインテリジェントデザインなところの共通するとこは感じる。けど、アポリカプスってよりはサイエンス。そんな感覚。されど、ピタゴラスから始まったのかジーザスから始まったかは定かでないけど、サイエンスは宗教観念が概念として定まった世界のなかからエクステンションに生まれた感覚なのではないか、とも思えるので、それら作品たちの世紀末観はアメリカのなかで結びあうとこあるのではないかな、となる。
ログインしてコメントを確認・投稿する