『誰も知らない』
初見。先日、この作品を観た知り合いが怖かったと言ってたから、内容が内容だけにそうなのか、と思ったけれど、電話口にユーが出て「山本です」というちょっと衝撃を表すようなカット割り、或いは最終盤の空港のところに、彼女が言った怖かったがあるから、そう感じたのか、そこらはそれを感じる。でも、ミンリャンのピクニックは彼の意味付けがあるのだろうが、それとは違った逆にピクニックで連想するものが、ゴンチチの音楽が伴うからか、全体に、子供たちの世界的なピクニックな軽やかさも感じられる。ドキュメンタリータッチとファンタジーが重なるセンスがする。これまで観た是枝テクストにおいて最もドキュメンタリーなタッチを感じる。ルポルタージュみたいに事件が解決までではなく、こういった感じで終わるのか、と思ったが、子供たちの目線での世界というのではこうだろうし、また、セリフの即興だけではなく、流れもおおまかなのはあっても、子供たちを追うなかでできた構成に思われ、演じ手である子供たちとの共同作業を考えるにおいても、あのラストなんだろうな、となる。なんかフランスの子供たちを扱ったドキュドラマ或いはファンタジーなセンスを感じる作品である。イヴ・ロベールとか、アルベール・ラモリスとか、そしてヴィゴも連想するような。
それぞれの作品は独立しているのであり、シリーズではないので、それぞれの作品の登場人物たちにはそれぞれの想いがあるのだろうけれど、幻の光の子供がひきずる想いやこの作品の子供たちの、弱き者は相手を怒っても自分にもなにかあるから置いていかれたんではないか、という非の部分があるのかな、と考えると、そして父になるの息子は、いじけるばかりではなく、それがあるから福山が訪ねてきたとき隠れるのかな、アンビヴァレントにいろんものが交錯しているんだろうか、と思った。或いは、子供はなにをされても親を許すのかな。
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