録りだめのを観る。100分de名著のカイヨワの『戦争論』。映像学を学ぶとカイヨワの『遊びと人間』で眩暈に影響を受けちゃったりするからカイヨワで関心が向いたからダブしたのだけれど、第三回と第四回だけしか録れてなかった。聖なるものなどが引用され、バタイユの批判的継承にも感じられたりするけど、恍惚と暴力の交じり合うセンス、人は飽きてきたら祭りをやりたくなるのと同じように欲望が戦争へと向かう、ということ、そういった消費なるものなるほどなとは思いつつも、戦争は寧ろ、ユングの集団心理的なもの、そして一部のトップが時期を見て(例えば、第一次大戦と第二次大戦の間の期間も、その世界中の一部のトップが様子を見てる期間であり、それから再び勃発させる)始める地続きのもので(そしてそれは、今も地続きとして繋がってるもの)、国民のほとんどは戦争が始まったぞ祭りじゃ〜〜〜、と勤しんで戦地へ向かうのではなく、国民として駆り出されるものなのではないか、と思えるのである。カイヨワは祭りと戦争は違う、前者はユニティをつくるもので後者は壊すもの、という違いがあると、戦争を批判するけど、聖なるもの、ホドロフスキーのホーリーマウンテンとヘルツフォークのフィツカラルドは高揚と暴力を一緒くたにすることなくして、ポジティヴにユニティへ眼を向けたものかな、リンチもネガティヴな悲劇性を表したのではなく、そうしたポジティヴを描いているのかな、と思えるとこ思ってくるのである。
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