「ドキュメンタリーは格闘技である」、イマヘイと新藤兼人のとこだけに終わったが、おもしろかった。『人間蒸発』において最終盤、セットを飛ばせ、が合図で、セットをバラすんだけれど、その合図をイマヘイが言うの忘れていて、タイミングがズレた、ってとこ愛嬌がある。リサーチ魔、『黒い雨』の製作費がかなりかかったラストシーンもこれは切ろうといって切った完全主義、そしてレアリストなところ、鬼平なところもよく聴くけれど、製作費内でやること致し方なければのところもあろうし(ドキュメンタリーだからテイク2無理なとこもあろうけれど)、そうしたところも飄々と作品に納めるところ、イマヘイのバイオリズム素敵だな、となる。人間味から出るようなそうしたユルさ、ショットによって感じるところがクロサワにもなくエイゼンシュタインにもない、そうした不思議さ、イマヘイの魅力に感じる。独特のバイオリズム、というか、映画然とだけにさせない面白さがある。新藤兼人の、このインタビューは90年代中頃なんだと思うのだけれど、殿山泰司のことを映画化したいということや姥捨山のことを映画化したいということ、すなわち、のちに映画となる『三文役者』や『生きたい』の構想の頃のことだけれど、この令和の夏にも巷で言われていることでの原爆が風化しているということだけれど、もう二十何年も前に新藤は風化している、まして日本が進展するためには忘れようというような流れにもなっている、と警告しているけれど、なるほどこの頃の経済発展日本だったら、そうした考えにも傾いているのかな、とはなるも、逆に、風化をあやぶるセンスはこの頃よりは令和の今の方がやや健全化してきているのでは、と願ってはいる。長いものに巻かれろニッポンにおいては、もしかしたら変化もなく、或いは、変化があっても第二の原爆が起こった後の遠い未来での出来事かもしれないし、または、そう願うだけの時間の取り方だけかもしれないけれど、とにかく願ってしまう。また、老人の問題も今からもっと老人が増えるだろうという、今まさに問題になっていることだけれど、新藤は当時において老人問題がやがて原爆よりもすごい問題になるというところ、この歴史のなか、原爆よりもすごいというものないのではと思ったけれど、でも、新藤が言ってることこの令和に考えると、それはそれでアトミックに当てはまり、なるほどとなる。
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