東京五輪・パラリンピックが近づくにつれ
1936年に開催されたベルリンオリンピックの記録映画
「民族の祭典」を思い出す。
私の生まれる7年前の作品で、約30年ほど前になるけれど、
渋谷文化村で再上映されたときに観る機会を得た。
この映画が、ドイツ第三帝国を率いるヒトラー総統の
プロパガンダであることは承知していたが、
監督のレニー・リーフェンシュタールの映像美に
魅せられたことを思い出す。
民族の祭典とは、ドイツ民族の祭典であり、
この作品が民族浄化に荷担したという理由で、
リーフェンシュタールは戦後戦犯として裁かれた。
東京五輪・パラリンピックの開催まで半年を切り、
安倍首相は国民の力を合わせて成功をと所信表明で演説し、
JOCは「全員団結」とスローガンを掲げている。
なぜ、五輪のために、国民が全員団結しなければならないのか。
まるで戦前の「一億総火の玉」を彷彿とさせる危うさを感じる。
このプロジェクトに参加している有名人はどう受け止めているのか。
五輪の目的は断じて勝つことではない。
その証拠に五輪憲章にはメダル数を競ってはならないと記されている。
団結するのは、個々の選手自身であって
我々は選手の強さ、競技で放つ美しさをリスペクトすること、
それだけでよい。
全員団結には、映画「民族の祭典」に通じる胡散臭さを感じる。
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