ちょっと無理があるが、マノヴィッチが言う90年代からのニューメディア映画と創生期1890年代乃至映画言語が成り立ちだした1910年代の比較としてこれらを観る。
『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』
大雑把だし心理的な深みないけどスペクタクルに見入る。頭文字Dも見た事ないしゲーマーでもないけど、面白かった。師匠が殺された主人公が敵をやっつけるカンフーアクションをンフを抜けてカーアクションにしたようなストラクチャーだけど、こんなのを観ると、なるほど庵野秀明のゴッディラは絵コンテの配列なのではなく、現代的な作品だったのか、と思えてくる。ニューメディア映画自体がもはや時代遅れになってるのかもしれないが、ポスト・キャメロン&ゼメキス(90年代においても映像テクの躍進には彼らもおおいに関わっているけれど)における、光学的音声的の徹底的追求のようなスペクタクルである。細かい伏線が絡まったり繋がっていったりのもたくさんあるのだろうけれど、こうした感覚なのか今となる。
『キートンの探偵学入門』
面白かった。やはり40年代末から60年代は10年代と90年代の真ん中にある変革期だったのか、カルネとロッセリーニは断絶してるなと、これ観て思う。厄介なヒューマニズムが確立される前のロマンティシズムで溢れている。ヒューマニズム的な感動といったココロのムーヴではない、動きによるロマンを与えてくれる作品。そういった意味では、ワイルド・スピードも典型的なハナシをあてがってるだけで表すものだとしてそれは心の躍動を素直にひきだす映像としてニアリーイコールなのかも。ロッセリーニはもちろんハリウッド的な感傷ヒューマニズムではないけれど、ロッセリーニとゴダールの断絶は、ゴダールがある意味、ロマン回帰をしてるんだな。
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