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2018年02月11日13:20

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エンドレス・ポエトリー


『エンドレス・ポエトリー』
ホドロフスキーが言う、その存在は完全な光。その光はスクリーンに灯される光であり、またそれを超えた生命そのものとして存在せしめられる。『リアリティのダンス』が回りがよく分からずにいながらにしておまけに抑圧を受けてしまう少年時代に相応しく、エディプス・コンプレックス的に父性からの解放と(家族)社会の受難が表されていたのに対し、今作は青年時代に相応しくロマンが充ちたものとなる。フェリーニ的な巨女とロータな音楽あれどユングではなくエディである。しかし、母と恋人を同じ女優が演じること、そしてラストの港での父との別れでエディプスは表されても、前作の受難のパッションと違い明るく情熱的なパッションがクルクルと弾んで爽快な光として表される。

冒頭のかつてあったストリートが形づくられるように、或いは父親と主人公が互いを受けいれ和解することをホドロフスキー自身が調停するように、回想というよりは現在のホドロフスキーが創作するメモリアルであるように、記憶とは現在からしか見えてこないもの、だからこそロマンが溢れて生命は存在するのである。全編を通じて平和を探究するホドロフスキーが、奇異的なものに目を奪わられずに届けられ、ジョンレノンがエル・トポに見たものをようやく理解する。いやいや、平和の探求を超えたコスモポリタンなるナポリタン スパゲッティ―がフォークにくるまり眼のなかでクルクル回り続けるのであるのだ。

次回作の制作にも意欲的な発言をしていながらも、この作品が最後になるかもしれないという思いがあること、なにか感じられてしまう。しかしそれは、悲しきものではないもの。寧ろ気概すら感じられるものが『エンドレス・ポエトリー』にはある。巴里に出ていってからの軌跡が描かれるのを残しトリロジーすることはてんで最初からする気もないだろうけれど、この作品に続くものは『ファンドとリス』であり、ホドロフスキーはずっとループし続けるのであり、そのことこの世に残す気概なのであり、それが奇跡として光を顕している。


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