鼓舞されるナショナリズムではなく、ゴーストは今此処に在る事実を表わす。ラストショット、妻がドアを閉めるとき、そこに表わされる事実により、我々はゴーストのスピリットに引き戻される。レジェンドが語ってきたものは、闘いの空しさ、などといったものでは決してなく、あの砂嵐に表わされる虚無なのでも除隊後に表わされる悔やみなのでもなく、事実のみである。友愛も様々なエモーションも、『荒野のストレンジャー』に在ったような赤く塗られたネットリも、事実のみに沸き上がってくるものだ。『許されざる者』のラストにおいて、ウィリアム・"ビル"・マニーが妻の墓石に語りかけたものもまたそうなのであり、それはイーストウッドが表わす如何なる名もなき者たちにおいても同じことが言えるのである。最近のイーストウッドのなかでは、やはり感動作であった『アメリカン・スナイパー』。
69才とは言っても86歳から見れば、まだまだ坊やであろう。イーストウッドはスピルバーグのヒューマニズムに対して、そんなもんじゃないぜ、と言っているようなところも感じたりする。
そう言えば、ティムロビンスはスピルバーグの『宇宙戦争』とイーストウッドの『ミスティック・リバー』において、複雑怪奇な役柄を演じていたが、それらのテクストにおいてそれぞれ、彼が表わしたものはなんだったのか、と関心がわいてしまうのであった。こんど観てみよう。その前に『グラン・トリノ』と『戦火の馬』である。
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