ジッロ・ポンテコルヴォの『ケマダの戦い』、ユーチューブにあったからざっと観たのだけれど、西側が革命家を育て内側からその場を変えるところとか、その結果から生まれる愛憎、それらには現代において考えなければならないなにかが在るように思える。マーロンブランドも彼の政治的姿勢からしてこれには積極的に関わったのかなと思ったりする。イタリア語だから、ブランド演じる人物がアンチ理性を表しているのかどうか分からないが、彼が出演しているって理由だけからも、人間の矛盾が表されること推測される。
このテクスト自体なにか、ヘルツォーク と重なってみえるところもあったりした。キンスキーとブランドが重なる。いっけん柔らかいブランドと狂いまくっているキンスキー、違いあれど、どちらにもきっと”理性”というものが表されていたはず。それが”理性”だと言わんばかりのものが。それが西欧的思考にあるものである。
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