mixiユーザー(id:2566286)

2015年10月14日14:29

391 view

奇跡の丘


『奇跡の丘』(パゾリーニ;1964)Il Vangelo secondo Matteo /The Gospel According to Matthew

  写真性は素材そのものを表出する。エスタブリッシュショット、マリアが美しく表わされる。彼女、パゾリーニの母が演じる老いたマリア、そしてサロメ、女性たちが綺麗に表される。彼女たちにはイコンではないロマン、すなわちエモーションとしての人間性がある。
  マタイの福音書の解体新書というではなく、キリスト教学者によって構築された書物を写実による再構成が表わされる。秩序を構築するロゴスなのではなく、身体はパトスであり、と同時に生々しいロゴスである。字それぞれが書き手の持つ生々しさを表わすように、身体の所作はロゴスを表わす。エモーションとしての人間性がこのテクストに表わされる。
   身体が教典が生まないセンスをモノ、その出来事そのものにあらわされし。エルサレムはスラム街なのでもなくローマなのでもなく、表象されることのないロマンのトポスでなっしー。エキゾティズムは未知のディスタンス、他者がわたしたちを形成してくれる。ロゴスとしてではない人間性が現前されるとき、内実するものは垣根を壊し現れいで、その実を実らせる。
  木に首を吊るユダは罪を実らせる木のようであり、それは現世現在にまで実るかのように印象される。しかしながら、そこには神秘はない。我々は普遍性に在る。ロゴスではないエモーションは、神によってもたらされるものなのではなく、人に内実するものにある。十字架に張り付けになったキリストの叫び → 揺れるエルサレム。崩れる建物。その後の人間社会は神話の世界なのでもお伽噺の世界なのでもなく、わたしたち人間のエモーションによって構築される世界が今此処に在ること語らしおん。
   ネオレアリスモの精神性は表象の世界を表わしながらも、非合理な生をそのままに表出する。エモーションはイストワールに囚われない。素材が人間性を形成する。他者は同じカタチをした喜怒哀楽を抱いている。偉大な神は丸裸にされ、あるがままに近づく。生の実りは神秘に基づかずにある。写実される素材に、精神の復活が表わされるのである。人間性が今此処に求められている。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年10月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記

もっと見る