『ベルトルッチの分身』(Partner;1968)
★ トラジコメディな様相。ベルトルッチのゴダール フリークぶりが出ているけれど、ベルトルッチは(メロ)ドラマ作りが長けているのか、ゴダールが保つ距離感ではないモノあらわす。
★ 劇場型政治
*そのうちあ〜よかったと思われる国家なのではなく、民意に反応するトポスを。
*人々に激情も現れいでん。しかしながら、そのエモーションもまた国家というイデオロギーに支配されているかの如し。
★未知に無意識に恐怖しながらも関心を抱く女性:瞼に描かれた大きな目はなにも見えていない。
★分身の主人公:観念に支配され、どれが己かを分からずにいる自分。
★パノラマにパンしながら、音楽が途中切れてまた始まったりとか、あれこれ、ゴダールである。しかしながら、モノ作りにいそしむゴダールと違って、ベルトルッチはパゾリーニと同じように観念めいている、というか、劇場空間に己の“観念”を産み落としたかの如し、その様相。観客にテクストとして放り委ねるゴダールの生成性とちゃいまんねん。思えばパゾリーニ、『奇跡の丘』や生の三部作は、あるがままの生を素直に表していたのに対し、激動の頃に現れた『アポロンの地獄』『テオレマ』『豚小屋』は時代に呼応するかのごときの観念深さ。『中国女』のような積み重なれた本は、累積するグリッドに知識の積み重ねのただただ絵として表象するゴダールのものとはちがい、もはや観念めいたものを表さん。やはり、パゾリーニの弟子であると印象する。
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