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2015年05月11日07:53

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邦画考25

トンネルを抜けると雪だった、しか知らないので、叙情詩的な作家としか思っていなかったが、江戸川乱歩寄りの作家だったのだな。こんど『禽獣』読んでみよう。『完全な遊戯』に続いて『ファンキー・ジャンプ』を読む。日活アクションのようなセリフのコンクリートポエトリー。意味わからず。『鍵のかかる部屋』に続いて『橋づくし』を読む。笑った。微笑ましかった。中島哲也の『渇き』を観る。スコリン系離れを起こしているので、久しぶりにこうしたもの観ると、頭痛を起こしてしまう。嫌悪感を持つようにならなければいいが。『亀裂』と『鏡子の家』いつかそのうち読もう。

むかし書いたのです。


◆『下妻物語』 
  桃子は空飛ぶ少女時代の彼女が言うように、おもしろいことが大好きな、つまるところ、イチゴが大好きなロココなのだ。
  白百合イチゴが恋に落ちる。恋はバカバカしいこと、つまるところ、お洋服やヤンキーや友情や人生は暖かなものである。それが生まれるってこと。桃子はやがて人を支える幸福の前で不安になり、それだからマジになる。深キョンかわいい☆
  伝説を壊す土屋アンナ、coolである。新しい伝説つくる深田恭子かっこいい。この2人、熱くクール。マジな恋だぜ♫


◆『青い春』 
  あの絵のことを さ と読んでいたが、さびしさの さ なのか、さまようの さ なのか、サクラの さ なのか、さよならの さ なのか。青春には常にさよならがやってくるのか。冒頭、サクラのせいかAKBのPVヴァイオレンス・ヴァージョンに見えた。しかし、マジスカ学園より心情リアルである。思春期、というより男子の心情リアルに表している。ややこしくめんどくさい男子任侠道、、供儀や絆というよりは男性心理・生理性である。中学生日記の男子の関係性を抽出し簡素に描くと、こんな感じになるのかもしれない。青木がREBELを表すところからオモシロくなる。友情とジェラシーの混じり合い、たぶん女子の心理よりややこしいだろう。いろんな さ が混じり合う。差異は常にあらわれる。男同士、距離はあるのだ。屋上にのぼる九條、距離が表される。黒く塗った さ に寄り添う青い影、青春がある。さよならのない未完の対局か。松田龍平と新井浩文の男子ぶり、上手いキャストである。


◆『ヒミズ』 
  被災地の映像に重なるゴオーと三次元に拡がり響く風の音、、この音と映像が調和が根底からくつがえされたモーメントをこちら側に届ける。ソニマージュが届けるものは、喪失感やトラウマだけではない。
  最初は天災と人災をいっしょくたにするのもどうなんだろうかとみていた。しかし、世の中の災害をアマルガムにしカオスとして表していること感じてくる。悲しき世界で私たちは切実に生きている。園のカメラアイは劇場空間、そのことをスクリーンで橋渡ししたのだろう。写し取り模索し、そして創造する。Purityとだけ言いおさめることできない2人の主人公は、世界の様々な死にかけた出来事に悲観しマインドコントロールされてしまう大人と違い、世界に抗うのである。
  顔をペイントし気狂いピエロのようになっても、住田はピエロになることを抗う。茶沢はぜったい死なない。様々な登場人物の殴り合いはイタさを、そして人々の無垢は未来を表す。いつもはテクストに眠る希求あるいはいたいけな人物を通して未来が表されていたが、ここでは主人公を取り囲む人々を通して、辛くとも、その未来を確かに信じること表される。でんでんも含め未来を問うている。キレイゴトではない悼さが表されている。
  いつもの如く黒沢清以上にカイエ的であり、ヌーベルヴァーグの子供を描く残酷劇風であり、トラジコミカルなシュールと出会い、(演劇的な演技を取り入れるというではなく)演劇性を取り入れ、そうしながらもそれは那の国に土着的であり、そこに復興の国のロビンソンが表される。ウェットでもなければドライでもない。湖のあの家、沈んでいるのでなく、浮かんでいる。そう見える。宙に浮かんでいるかのようにである。ドキュメンタリーとファンタジーが入り交る。ゴオーと響く音が、映像に重なる。



  豊田利晃、未完の対局、毒々しいヴァイオレンス、そして禁忌への侵犯が特徴か。タブーをおかすこと、これまた生の営みなり。『空中庭園』の赤を浴びるとこやラスト・シークエンスに表されるものはひきこもり能面から抜け出す、ってことではなく、禁忌なる至高性への到達を表す。このテクストに表される脱自/エクスタシーとはホームドラマに表されるそれとはまた別のもの。ラストの花etcのプレゼント、生という供儀の祝祭なり。
  禁忌なる者は汚れた者として表されるが、禁忌なる者ゆえ汚れていない。松田龍平や大楠道代たちである。彼らと対峙するもう一人の者はついには禁忌なる者へと転位しその純血あらわす。キョンキョンや新井浩文、弱さとともに、禁忌なる者たち以上の不可思議さを表している。人間の不可思議さを彼らは表しているのだ。 
  中島哲也の孤高な主人公は結びつきを生み出す者である。そして、土屋アンナや黒沢あすかは主人公のサイドキックとして表されても、まったく同じ役回りとは言えないけれど似た役回り、なんのこっちゃ。
  主人公はLEGENDとなる。或いは、そのようなミステリアス・ミラクルな存在である。嫌われ松子もそうだし、最後まで謎めいた存在のままの松たか子もそうだし、『下妻物語』における桃子は語り部ゆえ我々が一番同一化しやすい存在なのだが、彼女のハナシについていきながらも彼女自身が己とは何かということラストまで曖昧なまま認識したままだし、深キョンのポワーンとした感とゴスロリ姿で、謎めきとレジェンド℃は深まるばかりのキョン。こうした者たちLEGENDにふさわしき。自意識ないままパラノイアのまま、共同体愛を生み出す。そういった母性たちなのである。思えば、そういったキャスティングがされている。



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