メモ その2
リンチやスコセッシの世代に生きる人々も「慈愛」を探し求めているのだろう。ニューエイジにしてもインテリジェントデザインにしても(この2つは同じことか?)も、キリスト教理に在るものもよく分からんようになっている時代、慈愛ってなやつをECMレコードのようにヒーリングに形を変えたものでしかない。マンソンの狂気は控えているが、潜んではいる(だからコワい)。ベトナム戦争の後、慈愛もよう分からんようになり、ありもしない新思想を“思い込ませられる”ことにより人々は空虚の時空間を生きてきた。 スピルバーグも『激突』と『ジョーズ』で恐怖を表したもののその後は未知との遭遇しようぜとかETだぜとしか言いようがなくなってしまい(註1)、ルーカスもアメグラやスターウォーズといったノスタルジーでしか現実逃避と反抗を見出すことしかできずであり(註2)、変化する時代に戸惑いをみせるスコセッシとリンチと違い(註3)ベトナム戦争を生んだ大人を糾弾する恐るべき子供デ・パルマは始めっから慈愛など描く気などさらさらないようであるし、コッポラはただただ苦悩してばかりであるし(註4)、と、本質などない時代のテクストを表している。フランスの哲学者がロゴスを壊せと叫ぶ時代、日本では「肝っ玉母さん」同様に「ありがとう」もなくなり、思いやりももてなくなりつつであり、沈黙すれば共犯だと脅され、ナンセンスだとの声が飛び交い、もはや水戸黄門や金さん、大岡越前と加藤GOに過去にしか逃げ道がなくなる。市原悦子と常田富士男の声が身に染みるのである。そんな時代亜米利加では、もはやスピリチュアリティーにしかライフを見出せない。スコセッシとリンチの神秘家/幻視者がニューエイジにフォースを発揮する。まがい物かどうか分からないが、潜在するものはきっとあるはずと胸を張って言うことしか出来ないこのモメント、気が付けばこのアメリカンドリームにおいて、なにが本質かも分からなくなってきている。我々は慈愛すらも「ありがとう」と言葉では受け入れがたいときを迎え入れる。
註1 それどころか、このパトリオット、戦争映画をたまに描きヘンなこと鼓舞している。このヒト、強いアメリカが描きにくくなりダークサイドのアメリカを描くことが強くなってくると、なにか陰りをみせはじめたかのようにも見える。
註2 たぶんプリミティフなもの回帰のヒッピーがいつのまにかネオコンになったのと同じように現代では権力をもっちまっているが、ディズニーにしてもJJエイブラムズにしてもなんらかのイデオロギーをもたずに素直な童心で新たなシリーズやってくれるのか、と猜疑心高まるストレスフルの時代だから、不安にかられる。でも、ダースベーダーが主人公の時代がきっと深いダークな時代でありそれは現在の時代において過ぎ去っているのだろうと思う。情報分析と時代を読むことが出来るハリウッドである(或いは、時代を捏造するのか)、だから、次の時代にはなにが描かれるのか希望を持てる(或いは“思い込ませられて”うっかり騙されるのか)。
註3 ベトナムの狂気でヘンになっているトラヴィスにしてもスモールタウンで生まれ育ったジェフリーにしても、エルヴィスを愛するセイラーにしてもSOHOのアーティストやロンリー現代人を受け入れることできないポールにしても、スコセッシとリンチの登場人物たち誰しも古風な人々である。一方、デ・パルマの人物は伝統とか嫌いであり、ベトナム時代の若者らしく「大人」を嘘つきだと言って嫌っている。
註4 『コットンクラブ』以降になると苦悩ばかり表すことも時代の風潮に合わなくなったのか、往年のハリウッド・クラシックの話法になってしまいハッピーエンドを目指す。そしてたぶん『ジャック』には神秘なもののの発芽があると思われるが『ドラキュラ』やパートIII、そして最近作では更にであり表されているものがある。コッポラはスコセッシとリンチと同じようにグノーシス回帰へと向かっている。
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