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2014年12月06日10:03

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nannka 2�鵑裡�

メモ その0 以前書いたもの

◆スワロウテイル 
 ★ 現前しないものを見ている。それは忘却のインデクス- スワロウテイルのように舞うイエンタウンバンドの広告看板 –として、主人公の眼差しに映る。そのインデクスには、欲望と望郷が在る。しかし、忘却にあるものだ。
 ★ マネーのイシュー
  *マネーもまた忘却の同一線上にあるインデクスでしかないのだが、望郷と精神はそれと紙一重に違うのでもある。マネーが生むマテリアルを抗い、あるいは受け入れ、そう接していきながら、主人公と我々はdifferenceを知覚する。
  *
 ★ホームもアウェイもない。
 ★妄想のアニミズム
  *Ifの世界が表されるのではなく、内面と対となる身体が在る外界もまた、内面と同様に偶然を有するファンタジーランド(トランスエクスタシー)である。
  *そしてそれは同時に、幻影のアニミズムである。英語、中国語、日本語が飛び交う。ライブハウス等の造語英語も飛び交う。アマルガムな言葉も飛び交う。日本人が演じる外国人がいる。国籍というアイデンティティーを無効にするための方法。→ 岩井が描く空虚は、アイデンティティーがないことによる不安から起こっているのではないか。アマルガムでいいのに、ヒトは自分探しの旅でそれを見つけたがっている、というか、見つけたいのかどうかも分かっていない。
 * サードカルチャー:外国人差別のイシューも出てくるが、そんなことトランスするモノを表したいのだろう。
  *S-kenの『異人都市TOKIO』のよう。
 ★主人公フェイホンはイマージュだけを見て死んでいく。
  *グリコの広告看板に、マイウェイと故郷が表される。三上博史によって肉体化されたフェイホンは少年のようであり、夢を見、故郷を追う。それはアゲハやリョウリャンキにおいても同じことが言えるのである。
 ★子供であるアゲハは成長をするのではなく、感動をする。孤独な子供たちに、感情の動きが希求される。→ 知覚の発見が、岩井がこの世界に求めるもの。
 ★ テロリストではなくゲーマー
  *ゲームの世界でも見るように、サングラスの内側に映写されるプラン。
  *シェンメイとランに思想が表されることはない。彼らはテロリストなのか、秘密警察なのか、アナーキストなのか、なにか思想はあるのだろう、しかしそれらのことはこのテクスト、可視化されない。彼らはさらなる刺激を求めている。彼らは寧ろ、ゲーマーのように表されている。この思想性のなさ、政治性の無化はオソロしいほどまでに、ジャポネーズ的である。(もし『スワロウテイルII』があるとしたら、彼らとリョウリャンキか都市の人々の戦いになるのだろう。しかし、それは岩井が描く世界ではない。)
  ↑ ゲーマー的には、いまは考えていない。考えを変えた。たぶん生きる必死さは彼らには表象されているはず。
 ★望郷の想いを分かち合えるのはリョウリャンキとアゲハである。リョウリャンキもアゲハも故郷への憧憬を持ちつつ、生なる欲望消すことなし。
 ★しかし、「あおぞら」はReelのセカイであり、彼らは非現実に生きる。岩井が求めるHomeは決して故郷にあるものなのではない。ボードリヤールが言うような漂流にあるのだ。
 ★動きにも表されるが、モンタージュにより、意識/記憶の抽出。
 ★『打ち上げ花火〜』において、
  *全て偶然を有するエモーション
   ・主人公は母親の凄い眼差しをローアングルから見る。その後、妄想の世界に入り、主人公はローアングルで花火を見る。
   ・安らぎにも似たものに変わるというのではなく、同点にあるのであり、形を変えただけのエモーション。
 * 怒って友人を殴る。女の子を粗末にするな!ってことよりも、それもあってのだろうがでもっての、取り留めもないでもってのどこに向けていいのか分からないような怒りが表される。説明しようがなくロゴスにならない怒りなど、そうした感情は岩井にはよく表される。それは偶然に生まれるようなものである。『スワロウテイル』においてもまた、アゲハが男の子をパンチで倒すのは偶然を有している。グリコがバンドと「マイウェイ」を歌うのもまた偶然から生まれる。その後のライブハウスの看板が取り付けられるシークエンス、まるでドキュメンタリーかシネマヴァリテ作品に表されるように、カメラを気になりカメラに視線を向ける人が表される。岩井が偶然はこの世界には在るという演出を施す。偶然が表されつつも物語構造世界が表された『Love Letter』と違ってどこに向かうか分からない世界が『スワロウテイル』には表されるが、岩井は物語世界にこだわりつつも(『スワロウテイル』は或るファンタジー)、偶然を有するイヴェントとの境界線上にあるモノを表したいのだろう。グリコが「マイウェイ」を歌うところ、再生=夢といった物語世界の定番を表したいながらも同時に、ハンドヘルドによる揺れるカドラージュと小刻みで変化与えるモンタージュによって偶然を演出したがっている。
 ★コインロッカーベイビー的にアイデンティティーがない。このことによる空虚感。
 ★アベねつ造がすすめるオリンピックは如何に?

◆リリィシュシュ
  こないだ観る。

◆エヴァンゲリオン
 ★ 成長物語でも通過儀礼でもない。→ モノガタリを壊す。エトセトラにエクストランスな快が顕れる。
 ★ イメージのイシュー
  *セカイなんか関係なく個を尊ぶ主人公は、イメージのみを見ていること- それは無意識にであるが -によって空虚を抱く。
  *使徒は“物語世界”を再び築くためにやってきた。しかし、主人公たちは「死と再生」「人を助ける物語」「救済」「アポリカプス」「イストワール」、そしてあらゆる記号を纏う「ポストモダン」といったあらゆるモノガタリに抗う。
  *空虚を空虚のイメージにより知覚させる。
  *使徒やゼーレは物語の遺伝子を組み替えモノガタリをベッドタイムストーリーする。それを聴くのは主人公碇シンジ。しかしながら、主人公たちは「死にたい」「死ぬのはイヤ」「殺してやる」というコトバ、突然のキスやカッターでの殺しまくり、取締めに抗う首締め、叫びである本音といったモノガタリには変えられないもの、すなわちエモーションを吐き出すことによって、モノガタリに抗うのである。生が顕れる。それは実感される。知覚されるのである。やがて供儀そのものが生として動き出す。なににもとらわれない自我は精神という生命の木となる。
  *生命の木はなにか?
  *実写ショットのデペイズマン → 露呈ではなく同一線上のアリア。
   ・現実の埋め合わせを生きる人々。夢/真実はモノガタリにではなく、今此処に生まれえるものである。
  *生きている場所は天国である。生きていればチャンスがある。生きているから感じられ、そして出来ることがある。漂流民である我々が生きる今此処に、生が在る。
  *アスカが首を締められるときに生まれるものも、シンジの涙も、「キモチわるい」というコトバも、それらは生を形づくるモノである。
 ★キューティーハニー → 他の著名なアニメーション作家が生んだ著名なキャラを超インデクスることにより、イメージのイシューを描き出す。モノガタリであるキャラがディコンストラクションされる。
  *身体の記憶の抽出をうながすような、主人公やキャラたちのカクカクギザギザな動き。
   ・空虚の内奥にあるものの抽出。刻まれ、生が露呈される。
  *それまでに描いてきた実写の身体とアニメの身体の融合を目指している、というより、新しい映像言語の模索、というより、シンプルにアニマ/アニムスの顕れに志向する。 ← 実写でもない。アニメでもない。という謳い文句。
  *表されるセカイにおいても、イマージュというものをまず意識している。
  *『エヴァンゲリオン』においても『キューティーハニー』においても、生命の木が表される。木はイマージュによって育まれる。イマージュは内的な生の種であり、我々はそれを育み夢/真実を生むのである、わーれ。生成乃至出来事にそれは在る。イストワールではないイヴェントは、イメージであるモノガタリに抗わなければならない。
 ★アベねつ造がすすめるオリンピックは如何に?

◆ 式日
  こないだ観る。

◆ヘルタースケルター
 ★ 美のイシュー
  *本質を探しきわめる主人公。
  *ブルジョワジーが造り出したもの。リリコはそれに抗う。
 ★ テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼではない。
 ★ ブルジョワジー:固定観念あるいはセカイをつくる人々。
 ★ 『なんとなくクリスタル』ではまだ、シラケた時代を引き継ぐ厭世観が表されていたが、現代ではプラスティックを本気で追っている。そして、プラスティックなマテリアルが現代の本質なのである。なんでも有りな現代におけるミューズは、ブルジョワジーの社会に抗いトランス・ナンデモアリへと向かう。
 ★ 検事は詩人:理想を謳う彼もまたタイガーリリィの本質を見ることはできない。
 ★ 社長ママもまたリリコのホントを分かる。彼女のことが好きであるママは彼女に夢を託している。この夢は欲望であり真実である。欲望は表層であり中身である。
 ★ 主人公は全てを脱ぎさり素に戻ることってことは勿論なく、彼女は究極の美へと辿り着く。
  *畏怖なる崇高性。
  *シミは蝶である。
  *メイクもメイクの下の傷も、同じものでしかない。シミは蝶の如くと同じように、存在は美しく今此処に在るのだ。
 ★ 検事と会話をするシークエンス、リリコの背景にある水族館の水槽は奇麗なもの。彼女は水槽のなか奇麗に漂うシークエンス、都市伝説化されようがスキャンダル起ころうが彼女が迷おうが、サブカルにセクチーじゃね、と言うオンナノコたちは彼女に着いていく。彼女は常にリークしている。→ リークをしたくてもリークできないジャポンのオンナノコたち。
 ★ マネージャーはリリコのリークを助ける。彼女はカッターを向け、水原希子のリークを助ける。そして、(リリコを楽にしてやるためかなんか理由は分からないが)秘密をマスコミに送る。
 ★ 報道陣、パシャパシャと鳴らす。フラッシュは降臨を表し、リリコは目を刺す。タイムいずマネーの社会においても、それは脳裏に焼き付く(パシャパシャが止まる一瞬のモメント、時間はフリーズ、止まるのである)。彼女は鏡よ鏡と言葉をかけたウィンドウショッピングから全てを解き放つ。
 ★ リリコは本物の「関心なき快」となる。関心も気遣いもない美となるんだ。勝利の女神の笑みは、時間をフリーズする。あれは素敵すぎるラストショット。
 ★ アベねつ造がすすめるオリンピックは如何に?

◆スコセッシとリンチは世紀末、『救命士』&『ストレイトストーリー』と慈愛によって包み込むテクストを表したが、日本ではTOKIOデカダンがエンドofセンチュリーに表される。→ 現代のデカダンスは、19世紀末のそれがサンボリズムと仲良しだったのと違い、付かず離れずながら激しく拮抗する。このイシューは今も無くなることはない。
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