さて、今回5/14〜15の上京も、最後の訪問地となった。
文京区本駒込にある吉祥寺で「日本造船の父」とも呼ばれた赤松則良男爵と長女 登志子らの墓を詣でたあと、本郷通を南へ歩き同じ文京区の根津神社に向かう。
1.5kmばかりの行程なのだが、既に相当歩いて疲れを感じてきたし、この先坂道も多いので、途中でタクシーを拾った。
根津裏門坂の日本医科大学病院前で降りると、運賃はたった600円だった。
根津神社は森鴎外とも縁が深く、私はこれ迄2回か3回来ている。
鴎外の長編小説『青年』(1910.3月〜1911.8月「スバル」に連載)の中で、地方から出てきた主人公が地図を見ながらこの辺を歩いているし、離婚した登志子が鴎外の母親 峰と偶然に会ったのも根津神社の境内である。登志子は出産後、森家に置いてこざるを得なかった息子 於菟と会いたかったに違いない。
後年『父親としての森鴎外』(1969)に於菟が書いた「鴎外の母」の一節を引用してレポートした事がある。登志子の胸の内の痛みが、切なくまた哀れに感じられたものだった。
以下参照。
・「賀茂真淵記念館講座「男爵 赤松則良と西周、そして森鴎外〜いわゆる『舞姫』事件の顛末について」第3回(最終回)�◆�(2025.2.10記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989376006&owner_id=3341406
鴎外との付き合いが様々に深まり、営業をやめた上野池之端の水月ホテル(*)が手放した旧森鴎外荘を、根津神社に移築する事が決まった時は、他人事でなくほっとしたのだった。
(*)私は2011年12月、大学時代の文学仲間とここに1泊している。
しかしながら、大きな費用が伴う事であるから、根津神社はクラウドファンディングで寄付を募る事となった。
その告知チラシは以下に掲示した。
・「賀茂真淵記念館講座「男爵 赤松則良と西周、そして森鴎外〜いわゆる『舞姫』事件の顛末について」第2回」(2025.1.12記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989194956&owner_id=3341406
そのチラシには、募金受付を2024年11/18〜2025年2/5としてある。
そして移築スケジュールを「2022年より移築プロジェクトを開始し、旧居の解体、移築地の整備(樹木の伐採や石の移動、既存池の撤去)を実施、現在は建物の移築工事が進行中で、2025年6月頃に完了する予定」と書いていた。
また、明確な日は忘れてしまったものの、根津神社のホームページ上に、3月、家の工事完成、6月、庭を含めたトータルの完成、との言葉を確認した記憶もある。
したがって、今回の訪問で、移築が完成した家は見る事ができるのではないか、そんな期待を私は持っていたのである。
だが、実際は、そんなふうではなかった。
大阪関西万博しかり、一般的に言われている、費用高騰、人手不足などの波は、本件にも押し寄せているのだろう。
根津神社は3回目のクラウドファンディングを実施した。
以下に貼付するのは、今回、現場の塀の間から覗いて見た工事中の鴎外荘の写真。
・西面(たぶんこちらが入り口になるのだろう)
背後のビルは日本医科大済生学舎棟。
・庭向きの南面
・北面
こちらは工事用の塀に貼り付けてあった小さな紙。
下の方にはこうある、
「工事完成はまだ未定ですが、2025年秋頃を目指しております」。
やはり当初スケジュールよりもだいぶ遅れているようだ。
ただ、誰がこの紙を書いたのか、はっきりしない、工事の業者なのか、根津神社なのか?
また、異なる場所に3枚続きの大型看板もあった。こちらは「解体・移築プロジェクト」が製作したもの。
◆小さくて見にくいため、1番上の写真から部分をクローズアップしてみる。
・根津神社境内と移築場所のマップ。
・工事図面。平面図/屋根図/立面図(南面)。
移築による部分と新築による部分があり、それをつなげるようだ。
・・・・・・
◆2番目の写真からも部分クローズアップ。
・元の建物の写真、室内と外観。
・元の建物の縁側天井の桁写真→工事検討3D図→復元された状態。
・元の建物から屋根を外した柱と桁の小屋組み写真→工事検討3D図→復元された状態。
鉄骨をトラス状に組み込んで耐震確保している。
・元の建物から下ろした小屋組み写真→古い木材の劣化チェック等→復元された状態。
結局元の建物の屋根材は使えず、新しい木材に鉄骨補強をする事となった。
・・・・・・
◆3番目の写真は、本工事を請け負った工務店「佐藤秀」の文化財関係の仕事例。
こちらのクローズアップはやめにしておく。
以上、鴎外荘の根津神社移転工事、その進捗状況を現場で見てきた。
素人の目ではよく分からないが、もうしばらくかかりそうだ。
これで、今回の上京で予定した目的地はほぼカバーした、東浅草の正法寺にある蔦屋重三郎の墓を見る事ができなかったのは残念だったが。
千代田線で大手町を経由し東京駅に戻り、当所計画より1本早い19:30発のひかりに乗って浜松に帰った。
帰宅したのは22:00過ぎ。
スマホの万歩計を見ると2日間で33,000歩、よく歩き、少々疲れた。
レポートが長くなりました。
お付き合い頂いた方には、篤くお礼申し上げます。
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