mixiユーザー(id:2566286)

2021年02月13日17:16

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リバーズ・エッジ

去年のだいぶ前に書いたのです。

『リバーズ・エッジ』
岡崎京子の原作漫画は読んだことはない。ページをめくったことはある。リリーシュシュみたいに重いのかな、と思って観たら、行定勲的なブラックユーモア、パレード、つやのよるの系列にあたるもの、いや、贅沢な骨からずっとこのヒトはブラックユーモアなのか、と思わせるものある。また群像の右往左往や彷徨横行の交通整理が必要なぐらいのケアオティック加減は山本政志イズムなのか、と、当たってるかどうかはさておき、気付かせられた。原作と比較できないけれど、二階堂ふみんちのテレビのディスプレイ・アスペクト、セリフに出てくる大森のレントゲン研究所、フリッパーズギターで、あっエイティーズか(あとで調べるとナインティーズ)となると、あっホイチョイ・プロダクションの頃か原宿の頃か(あとで間違いと理解する)と思いながら観ると、ちょっとワクワクしてきて、吉沢亮がフリッパーズのふたりに見えてきたり、タバコ吸う二階堂ふみが桃井かおりに見えきたり、音楽がやたら鳴るけどこれが60年代につくられたらあの感情をあらわそうとする音楽がプリペアドピアノでグギャゴカココクカと鳴ってフィットするな、と思ったり、東陽一がやったらどういった瑞々しさが生まれるのかな、とか観ながら想像したり妄想したりしてしまう。二階堂ふみは気だるいばかりではなく飛んだり跳ねたりの高校生らしさは発揮する、それゆえ、唯物的な虚無さを感じられなかったが、いわば、それは人間、いろんな側面があるのは当たり前なのである。ただ、観音崎を受け入れるその姿から、彼女が言うように、プラスティックと同じ、というモノ化されている現代性が表され、それは、今の時代にはプラスティックの代わりになにがあてはまるのか分からないが、現在にもフイットする主題があるんだなとなる。最終盤のオザケンの音楽があることで、全体像もっとハッキリして、素敵な感覚になる。いろんなことを心が触れるのはヒトが決してモノではないこと語らしおん。


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