*ブリュノデュモンは 『欲望の旅』(Twentynine Palms 2003)をレンタルし観賞。おもしろかった。
*レオスカラックスの80年代、ベッソンとジャン=ジャック・ベネックスとともに彼らの映画はシネマ・デュ・ルックと言われたけれど、アラウンド・ミレニアムにおいては彼の『ポーラX』はNew French Extremityに入れられている。New French Extremityとはショック演出をされる映画たちであり、『ベーゼ・モア』や『屋敷女』や皮を剝がされたりが表される幾つかのボディーホラー、それにカンヌ映画祭でパルムドールを獲った『TITANE/チタン』などがある。ギャスパーノエの作品はほぼほぼほとんどNew French Extremityの作品に選ばれている。もっとも、New French Extremityもシネマ・デュ・ルックと同様に、ある映画評論家が名付けた名前であり、映画作家たちは自らをNew French Extremityだと誇らしげには自覚していないであろう(されど、この時期にかなりに残酷性があるフランス映画作品が出てきたことは刮目すべきことかもしれない)。カラックスにおいてNew French Extremityだと名誉にも選ばれたのは『ポーラX』だけれど、ブリュノデュモンにおいて光栄にも選ばれたのが本作品『欲望の旅』である。
*トレーラーを観て察するのはなにかアントニオーニな感じで、観始めてもそんな感じ、だけれど、本作品を観たかった理由のひとつが、カラックスの謎の死を遂げた伴侶で『ポーラX』で主演したカトリーナゴルベアが出ているということだけれど、彼女がいきなり道で放尿するのを観て、ヴェンダースもあるな、となる。
*アントニオーニのような、ふたりでいるのに愛が充足しない不毛の旅、そしてヴェンダースのような、存在論的漂う時間が表される。欧羅巴映画らしい雰囲気だけれど、前述のふたりのような、分かるようで分からないようで分かるような抽象性あるセンスと違ってデュモンのこのロードムーヴィーは、ふたりの男女の関係性は、あるあるな感じで、ふたりが唐突に喧嘩するのはあるあるな感じで、ある意味、普遍性を視て聴き感じる。より日常性に近い。でもさすがに、あの最終盤は身近に感じられないが、誰しもの日常のなかでまったく有り得ないこととは言えないであろう。そしてこの最終盤に起こる出来事がNew French Extremityにセレクトされる大きな理由であろう。ショック演出である。ラストタンゴインパリのオマージュがあるのかな、ここでは外国人であるデュモンがアメリカ人男性が逆にされたら、お前らどうなるのか考えてみろ、みたいな。アメリカンなマッチョイズモはがた落ちである。
*ところで、いきなりフランスから韓国に飛ぶが、ポンジュノとパクチャヌクの映画作品は、KBCシネマやキノシネマ天神でやっているようなアートシアター系の映画とシネコンでやっているようなコマーシャル映画(商業映画)のふたつをミクスチャーしているらしく、それがなにかに書いてあったが、走馬灯のように彼らのテクストを思い浮かべると、なるほど、と納得となる。New French Extremityを思い浮かべると、いろんなジャンル映画を漁り観てきた現代の映画作家たちゆえ、特定のジャンルにおさめることなく、観ていて養ったセンスを自身の作品に入れ込んでいるな、となる。そして本作品もまたそうである。
*アントニオーニやヴェンダースの雰囲気があったりラストタンゴインパリの変化球があったりする一方、スピルバーグは『激突』やシャワー室からいきなり現れるヒッチコックは『サイコ』もあったりと盛りだくさんなインプレッションである。
*確かに最終盤はショックではある。でも、そこにはデュモンが意図的に表したエンタメ性もまた肌には感じるのである。デュモンはヒッチコックと同じようにきっと言うであろう、ラストの30分は決してヒトにはもらさないように、と。
*原題であるTwentynine Palmsはカルフォルニア州にある実在の観光都市。ここの住人は本作品の上映に反対運動を起こさなかったのだろうか?
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