薬師丸ひろ子映画祭��
『メイン・テーマ』である。おもしろかった。これは10年前ぐらいに観たかな。そのときは、なんじゃーこれ?映画を舐めとんかーっ、という怒り心頭のもの。メリエスのようにはサプライズがないし引田天功でもまったくないヘタなマジックをアイドルを彩るためだけに使い、リゾートホテルやオキナワ、ダットサン、DJ、ジャズと当時のオシャレを前面に押し出して製作費をバブリーに使いまくる、アイドルのプロモーション・ヴィデオ以外のなにものでもないかのようであり、また、森田芳光が映画テクをヲタク的に自己満足のためだけにマスターヴェーションするただの遊びにふける感覚であり、ヘドが出るぜ、な感じだったと思う。けれど、1年前ぐらいに観たときは、逆転して、おもしろいとなる。それはこないだ観たときも同じ感覚かな(ちなみに薬師丸が歌う歌では、ねらわれた学園のユーミンの曲やセーラー服と機関銃の来生の曲よりも本作品のテーマ曲の方が私的にはヨイ)。森田芳光の遊びもレオスカラックスもウディ・アレンがやるのと同じようにエッセー・スタイルに捉えられ、その実験性を高く評価し、また、これは薬師丸ひろ子のアイドル映画なんだ、となると、20歳を迎える当時の国民的アイドルを祝うのに、ファンはシアターに駆けつけシャンパンの封を開けまくる、そうした酒池肉林がバブルの時代にふさわしいオモシロさ、いいじゃんこれ、となる。森田らしいおもしろおかしくうれしたのし好きもムードある表現よい。大阪に行くと桃井に告げる財津や野村が薬師丸をウィンドサーフィンに誘うところの時空間の表現などおもしろいし、全体的にも即物的なのは森田らしくドライなシチー感覚も顕然であるし、野村とマジシャン仲間との会話や高級住宅地に干される洗濯物、終盤のトラフィックジャムが映画撮影やアンビュランス騒動でてんやわんやとなりながらも甘いムードも加わりストロベリージャムに化すなど、森田らしい大衆感覚臭とエクスペリメントの融合が色濃く表されていたりと、まさに森田芳光らしい作品なのである、となる。メインのテーマ的にもおもしろい。運転手がいないクルマに乗る女性からカメラアイは引いていってそれがクルマを積んだトラックの荷台にあること表す等、トリッキーなもの表され、そこにマジックが掛けられなんと解く、そこには人生は気付かないことがたくさんあるという主題が見え隠れするセンスおもしろいのである。また、それまで高倉健をはじめ渡瀬恒彦や松田優作といった年上すぎる相手ばかりだった薬師丸だけれど初めて同年代(でもないか。角川映画ではない翔んだカップル、そして角川映画であるねらわれた学園では同年代の男子)、でも少し年下でお姉さんでいられる相手ということも、当時の追っかけやストーカーやファンやニキビ男子学生や武道系や暴走族や竹の子族やロックンローラー族やナメ猫とこぞって薬師丸大好きがいること考えれば、ひろ子と彼らの等身大的な青春映画として描かれることはおもしろいのでは、となる。冒頭、エスタブリッシュ・ショットでの列から離れる男の子たち無邪気を調整する女の子というセンスは後の男性たちや彼女自身を秩序立てること表すものであり、男の子をパチンとしたり財津の息子は財津に会うためのただのダシでしかない(そんなことばかりではなく子供もちゃんと好きであろうが)としたり、そして夜のデートや告白というような、エイティーズらしいミーイズムも、耐え抜くというそれまでの女性像を変えるものでおもしろいし、そうした衝動は時代を反映するものである(そしてそれは現在にも息づくものである)。そうした彼女のアティテュードはヒトはいつも自然体でいいことを謳っている。さすが薬師丸!インフルエンサー! 渡辺真知子ものちのち薬師丸に影響を受けて屋外で洗濯物を干している。セーラー服と機関銃の猪突猛進の主人公のときよりも演技力的に成長しているひろ子、表情の変化や所作も成長しその表現は彼女自身をもまた生成させている。森田はそうした薬師丸をしっかりと受けとめる。薬師丸をわきで支えるポップスターの起用も作品を色づける。ポップスな太田裕美やインディーな戸川純といったどっちもメジャー所属のヒップスター、イカ天の時代にはもはやそれまであった境界線がない趣味の拡がりが始まっており森田のキャスティングはエイティーズ的に混沌とオールざっとジャズしているものをちゃちゃちゃと秩序づけている。多様性をそこですでに表現してもいるのである。物語的にも、4人の男女が運命に導かれオキナワに集まりすれ違うのは古典的ながらも定番ゆえの安心させる映画的面白さを潜在させ、表面的には、前述のトリッキーな語りで異物を混入、でもアイドル映画らしく薬師丸のグラビア感覚はキープされつつ、まだまだ無邪気にひとりよがりで秩序を乱すオトコノコたちのコントラストとして、雨のなかオンナノコの気圧的不安定が描かれたりとちゃんとラヴと不安が入り混じったドラマ表され、薬師丸が桃井にセクシーになればってどういうことですか?と問うと、桃井は薬師丸の頭を小突いて、アタマを空っぽにすることよ、とオトナコドモ、すなわち”女子”であることのアドヴァイスを投げかけ、ジャポネなラヴコメがちゃんと成立する(ここでも、セーラー服と機関銃の最終盤と同じようマリリンモンローというキーワードが表さられているのかもしれないな)。ラストのリゾートホテル、薬師丸と、そして彼女の追っかけたちの夢はゴージャスに成就し秩序立てられる、まさにエイティーズ、されどそうした夢見る女子男子は現在にも息づいている普遍性をメインテーマは奏でてもいるのである。
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