去年のだいぶ前、公開時に書いたものです。
『TENET テネット』
てれっとテネット見ていたせいかピンとこなかった。ダンケルクにもあったハンドヘルドのカメラによる躍動感が活かされている。オートポイエシスな偶然性ならずコントロールされた偶然性、そこにはデリダ散種的なセンスも芽生える。かといって、オリジナル・ラブが消し去られることはない。インセプションにも表される親子の絆愛は守られる。大義を忘れ、女性を守ろうとすること、誰もそれを止めることしないのは大きなプロジェクトに関わるなかでおかしいなと思いつつも、それが結局のところ大義という愛に結びつこと、まさに映画的醍醐味となって現れてくる。猿の惑星やターミネーターの、それは実は私だった的なSFの常とう手段的なところもあるけれど、それよりも、アバターを通して自分発見的なところは、よりコンテンポラリーなセンスとフィットするのかな。007を好きなノーラン、現在性から外れることは時流に合わないからダメダメなのか、かつてのボンドでなくダニエル・クレイグ路線を踏襲している。酸素ボンベ・マスクをしているときの息子ワシントン、その眼の表情がいかにも父デンゼルそっくりである。てれっと観ていたけれど、おもしろかった。でも、まぁまぁ。
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