オモくはなかった。『ふがいない僕は空を見た』、力作だけれど、なにかウェルメイドな感覚。このヒトのは『百万円と苦虫女』にしても『赤い文化住宅の初子』にしても、なにか辛気臭さを感じる。辛気臭さは決してネガティヴな感覚のそれではない。ライトであるけどカルくはない。かといってオモくもない。けれど、タナダユキにはいつも堕ちるがつきまとう。しかし、ライトであるけどカルくはない。かといってオモくもない。昭和的なアトモスフィアの辛気臭さ、でもウェルメイド。神代辰巳や藤田敏八の泥臭さがないけれど、平成の無機質感(よく言えば、透明感)にフィットした生活臭がある。そうした泥臭さはある。なんなんだろう、タナダユキ的とは。『ふがいない僕は空を見た』、第一部と第二部のストラクチャー、面白かった。エロス、女性が撮ると生々しい。ってよりタナダユキ的なのか。田畑智子の表情、男性視点で撮れないもののように思える。最終盤の電車に乗るときの彼女の、メイクと髪の色も含め、それは女性的でありタナダユキ的なエロスである。きっと、ディーンフジオカ ロスと言う女性においても女性にはそうした普遍的なエロスがあるのであり、カルロストシキを好きな水野真紀にも同じことが言えるにちがいないのである。第一部と第二部のストラクチャー、第四部の生たる、無駄なようだけれど決してヒトから離れることのない業と結びつく。それはきっとホームというものより、より以上に郷に近い腟のなかにくるまれしもの。『ふがいない僕は空を見た』、ちょっとウェルメイドすぎるけれど、面白かった。私的には、窪田正孝の第三部が一番ヨカッタ。
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