『初恋のきた道』
チャン・ツィイーが注目された作品なので、どういう風に描かれているのかと気になった。爽やかなエキゾティズムなのかと思ったら、待ち伏せなんかプランする、ちょっと軽くトラウマを残させるかのようなストーカーだったから、思っていたのとは違い驚いた。しかし、恋煩いとはよく言えば一途であり、ワルいく言えばストーキング、誰しもが共有するフィーリング。その気持ちにグイグイ引っ張られるのである。
思えばチャン・イーモウ、執着をいつも表してみせている。『秋菊の物語』のコン・リーもまたそうであり、夫の博打をやめさせる『活きる』の女性もそうである。チャン・ツィイーもまたコン・リーと同じように、大陸的な大らかさを持ちながらも、執着あらわしている。
招娣が我々に届ける叡智の姿は、彼女の夫だけではなのではなく、彼女が見て触れ感じる世界そのものにある。大陸賛歌がそこには表されている。イーモウはいつものように、ヒトが段階のなかで物事を決めてゆくプロセス、そこに生きるヒトというものを発見してゆく。執着はヒトが持っている核であることを、その運命のなかで輝かせしてみせる。
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