『グリーン・デスティニー』
アン・リ―が繰り広げる武侠片。公開されたときはハリウッドが手掛けた功夫映画だと思っていたが、いま『HERO』『LOVERS』『PROMISE 無極』を見渡せば、コン・リンがその後に中国をハリウッド化する作品群の序章だったのかと理解する。
考えの齟齬がもたらす騒動や、作品中でも言われる「信は真に通ず」は、アン・リ―らしさを表している。ラストの飛び込み宙を飛ぶチャン・ツィイーの姿、あれはチョウ・ユンファの死に報いるというのでは勿論なく、アン・リ―が『ウェディング・バンケット』におけるスローモーションのラスト・ショット、鶴の舞いのように万歳する父親像と同じ如くそのフォーム、信が真に通ずることを祝祭するのである。ツィイーは可愛いだけの暴れん坊なのではなく、自身の欲求に向かって一貫して突き進んでもいるのである。
信は真に、悲しみとともに通ずる。『ウェディング・バンケット』のラスト、親の背中に涙する3人や、『恋人たちの食卓』の自分たちにも親にも理解しえなかった状況に陥ってしまう3人の娘たち、そして親たちと同じように、理解の範疇を超え出ようとすれば、悲しみや不安も生まれる。しかし、自由意思はそれとともに拡がりも生む。『ウェディング・バンケット』の親の心子知らずなニューヨークのあの3人と同じように、或いは『恋人たちの食卓』の3人の娘たちと同じように、自由意思を表す。『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』の少年のように、自由意思は信じることで真をそこに生じさせるのである。ツィイーはユンファやミシェール・ヨー、或いは荒野に生きるチャン・チェン以上に意思を信じている。欲する旅へと向かえる。シガラミや規則の世界において、或いは、だからこそ自らの自由意思を信じることができる。
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