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2018年01月14日14:01

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カラックスとフォントリアー17



『ボーイ・ミーツ・ガール』
セーヌから昇ってくる声、やはり彼の本質めいたドロドロとしたものポーラXにもあったのかと思ったけれど、彼のテクストに共通するもの多々ある。特に語り口。主人公の男女とは別の第三者の視点- この作品ではトマ-があり、その第三者はポーラと汚れた血と同じように、主人公から意識される位置にもいる。オーディエンスがその視点と同一化しリフレクションとして主人公たちに反射されるとき、作品とは契約できる、そうした様相をカラックスのテクストは帯びている。

20歳でも大人のヒトもいれば子供のヒトもいるだろうけれど、20歳であればまだまだ自意識の塊であるのだろうと、このカラックス二十歳のときの作品を観て思う。清々しくもあり憎たらしくもある。でも、長編第一作として丁寧に創りあげているようにみえるので、きっと制限失くしたカタマリは『汚れた血』にドッキュと表されているように思える。腹立たしくも清らかな『汚れた血』に比すれば、大人しさも感じる『ボーイ・ミーツ・ガール』。でも、出来る限りの映画的実験をやり、なおかつ丁寧に完成品たるもの目指しているセンス、自意識をその後の作品よりもコントロールできているようにみえ、そこがなによりアンファンテリブルしている。

表現主義的な空間やドーラン塗ってるアクター陣、或いはレネのような制御した動きや構図、(ジャンプカットもあってもそれはゴダール的なものなのではなくカラックスの生理性に従っているもの)それらもあり、ガレルのような抒情的なリアルもショットに細分化幾何学化され、またジャンユスターシュのように街を練り歩いてもリアルを感じさせなく演劇的であり、ミレーユはジャンヌ - ルネ・ファルコネッティを想起させ、その恋人はアルトーを想起させ、されどセーヌから湧き上がる声のように、テクニカルに制御されているからこそ、カラックスの本質めいたものがスッキリ聴こえてくる『ボーイ・ミーツ・ガール』。ラストの行為とその中身をみせる手腕には驚かされる。


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