コーエンズとタランティーノにおけるハードボイルドの試論 その1
フィルムノワールとハードボイルドとの違い、何だろうか?という以前に、フィルムノワールは映画を指すものであり、ハードボイルドはもっと文学よりの言葉のように思われる。フィルムノワールのキーワードは、ファムファタール、裏切り、犯罪、、あとは何があるのだろうか? ハードボイルドは探偵ものをメインにしている感じだけれど、フィルムノワールはギャングや、ビリー・ワイルダーのアル中ものも含めてもっと多義的広義的に人生の暗い部分を表している。ドイツ表現主義の照明やハリウッドのあまりライトを焚けない40年代を起源にノワールというのなら、メルヴィルが表したノワールとは違ったものとして捉えなければならないのかもしれない。コーエンズとタランティーノはハードボイルドを起源としているだろう。
ハードボイルドのキーワードはファムファタール、裏切り、犯罪、という以上に、生活のヘロヘロがきっとあるように思える。それはボギーが醸し出す男はタフに生きなければならないセンスとは違うものである。ボギーも『ローラ殺人事件』も『ギルダ』、そして60年代に入ってからのロス・マクドナルドのポール・ニューマンも、タフな野郎で時には渋味も表すのだけれど、スターである輝きの限界もまた指し示す。
ボギーはダークな雰囲気であるが生活の疲労感をあまり表すことはない。代わって、スターが放つことできない生活のタフネスを、ハードボイルドなノワールの主人公は表すようになる。日本で我々は35度以上の熱帯夜にヘロヘロに生きていかなければならない。もうヘロヘロである。そうした生きることでのヘロヘロは、強迫観念とは違うものであり、生活から生まれてくるものである。ハードボイルドにノワールに、それを放っている。アルトマンの『ロング・グッドバイ』やペキンパーの『ガルシアの首』をもって70年代に始まるそれなのである。人生とは永久にタフである。
つづく
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