☆エピソード10.
*片目のジャックの赤の空間と保安官事務所などの木の空間のコントラストに気が付く。そこらは1stシーズンからもずっと表されていたのだろうけれど、それが私の中で潜在性となる形で積もっていったから気が付いたのだろう。赤が煩悩で木の感触が善というはっきりした区別ではないだろうけれど、視聴者には目に入ることによって無意識ながらもそうした安心感を与えているのだろう。それとも、二重化した曖昧なものをこのテクストにおいて、こゝろに注ぎ込んでいるのか。
*病室でのジャコビーのクーパーに近似しながらもの弱さ(クーパーとイマージュをシェアできることはジャコビーが見るものの正しさを伝えている、と同時に彼らの影であるリーランドの強さもまたそこに潜在させる)、墓の前でのドナの弱さ(それに対するローラの強さも伝え、それはこのテクストでのローラの求心力をも確かに表している)、その後のドナが見てしまうジェームズの曖昧さ(それは彼がローラと瓜二つのマデリーンが接しているからこそ表される)、そこに登場するリーランドの悪魔のような強さと虚(これがローラともども彼女の父親である彼2人がこのテクストの求心力であることをなにげに表している。この顕れ、『イレイザーヘッド』におけるヘンリー・スペンサーと彼の子がそのテクスト空間に生むものと同じである)が表される。この流れで表されることは、ローラとリーランドにあらわされるものがたんに邪悪や虚ではないこととしても表され、このテクストのオモシロさを伝える。
*捻くれているからなのか実直だからなのかが分からないが暴力的な趣もつアルバートであるけど、彼がトルーマン保安官に言う言葉は人々の関係性に向けるリンチの強いメッセージとして表される。リンチのどのテクストにおける関係性においても慈愛が求められている。トリーブス博士やケンドール婦人がジョン・メリックに向けた同様のものがロンドンの人々に求められるように、セイラーとルーラにも、ジェフリーとローラをはじめとしたランバートンの人々にも、アルヴィン・ストレイトの家族にも、そして『マルホランド・ドライブ』のハリウッドの人々にも求められている。
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