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2026年09月22日09:28

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ロスト・ハイウェイ


☆『ロスト・ハイウェイ』(Lost Highway 1997; デヴィッド・リンチ) 

 *リンチは物語らない。フィルム・ノワール的には、遂にはファム・ファタールの正体見たり、や、遂にはピューリタンが忌み嫌うポルノを製造する悪徳ギャングをやっつける、と表されるセンスはあるけれど、むしろ本作、シニフィアンの戯れ的に意味が映像のぶつかり合いのなかで異化作用されていく作品であるといえるだろう。

 *物凄く好きな作品だとは言えないけれどリンチ・マイブームのときはついつい再見しちゃう。なにか出てくるぞという感じの映像と訳の分からない物語でいつも気持ち悪くなっちゃうけれど、何度も観てるから今回、怖いところってミステリーマンの顔になったレネエがジャンプスケアなサウンドとともに出るところだけであること悟り、ずっとは観ていられるし、実験映像的であるのはアートしていて、そういった意味ではちょっと長すぎるけど、それはそれでよい。

 *ハードボイルドなシチュエーションの『ジャッキー・ブラウン』に比して、ミステリアスなムードのフィルム・ノワールである『ロスト・ハイウェイ』であるが、だんだんジャズ・サックス・プレイヤーの悲哀も出てきてだんだんハードボイルドな風情も表されてくる。

 *若さへの憧れや若気の至りなど表されるが、『ツイン・ピークス』でもそうであるが、若さはボッと炎がつき燃えやすいことが本作品にも表されている。

 *こちらも舞台がロサンゼルス。ノワールが似合う街である。こちらも煙草の煙をくゆらせる孤高の男性主人公、愛と裏切り、ファム・ファタール、ジャズ、ギャング、そしてクライム・シティが表される。それらはタランティーノの作品以上に記号としてその意味を際立たせる。物語ではなく我々がいる現実に志向を向かわせる。シニフィアンの戯れによりオリジナルを失った大都市がノンフィクションにハイパーリアルしている感覚に酔うであろう。我々の感覚をもはやシミュラークルにしすぎているのである。じっさいの我々の現実での感覚に近似値がある。我々はリアルではなくハイパーリアルのなか戯れている。そして遂には、メビウスの輪に閉じ込められてしまう。私はどこ?此処は誰?主人公フレッド・マディソンの顔がシェイクシェイクシェイク! それらは、より現実的な人間の意味合いなのである。

 *アイデンティティの分極化が表されるが、ミステリーマンにはそれがない。彼はトリックスターとして機能する。仲間であり敵である、いたずら野郎。ファムファタールの化けの皮を剥がすというよりも現実の化けの皮を剥がすために彼は存在している。彼は粗野であるが、それは原始の顕れだろう。我々はハイパーリアルで幻視する。リアルであると思うものはリアルではない。しかし欲望のまなざしはリアルではないこと気付かない、ないし、それがリアルではないこと知っていても満足求めそれをただただ欲する。レネエがアリスだったということよりも、我々が物語世界的にファムファタールを欲し見たがるのである。我々が物語世界を求め埋没していることを語らしおん。

 *リンチはシュールレアリストであるから現実のなかの現実を見せる。シュールレアル(シュールリアル/超現実)とは非現実を言うのではなく、我々が目の前のものを見ていながら気付いていないもののことであり、シュールレアリストはそれに志向する乃至気付かせる(註1)。

 *また同時に、現実を見せながらもそれは深層心理と深く関係のあるもの。眠るときに見る夢のなか、我々は非現実と思えるものを現実として受け入れている。起きているときにそれを見たら理解しがたいものと思うだろうが、それをただただ受け入れる。しかしながらそれは真っ赤な嘘というわけではない。本作の主人公が見るビデオテープ映像は記憶であると同時に、深く深く深きに眠る深層心理であり、ネイチャー(自然/本性)であり、そしてそれはきっとハイパーリアルから遠く離れたもの。

 *主人公を演じるビル・プルマンの顔立ち、リンチはカイル・マクラクランにしてもこうした感じの顔立ちをキャストするね。そしてビルもカイルも坊ちゃん顔のグッドガイとその逆も可能に演じられる。『ワイルド・アット・ハート』のニコラス・ケイジもコッポラ家の坊ちゃんであり、本作品のピートを演じるバルサザール・ゲティもウィキで調べてみるとスーパーお坊ちゃん。リンチは粗野なワイルド・ガイではなく、気品を求めるのかな。

 *『ジャッキー・ブラウン』のLジャクソンによって体現化されたオデール・ロビーもそうであるが、魅力的な悪役がいるからこそ作品は引き締まる。本作のキーワードともなるディック・ロラントもドスの効いたギャング・ボスであり様になる。あまりにも記号的に典型であり、それがゆえにフィクションと現実への志向をもたらし我々自身の脳内アイデンティティの分極化をシェイクシェイクシェイクにもたらしてくれる。そしてレネエ/アリスを体現化するパトリシア・アークエットのキワドサからも我々は目が離せないKissKissBangBang。



註1 アンドレ・ブルトンらシュールレアリストたちは彼らが活躍した当時に生まれた写真や映画にシュールレアルの一端をみた。というのも、カメラアイは我々に現前しながらも見過ごしてしまっているものを現前させてくれるからである。だからUFOや心霊現象など非現実的なものをシュールレアルと言うのではない。日本ではシュールだよねとなると非現実を言うが(それはそれでいい。カタカナになったとたん日本独自の文化に取り入れられるから。特にそれがサブカル形式でるのなら)、でもよくよく考えればUFOや心霊現象もカメラアイが捉えられるときシュールレアルと言っていいだろう、これらって非現実ではないとは思うので。


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