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2025年03月31日17:39

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もらとりあむタマ子


もらとりあむタマ子を購入したので観る。おもしろかった。前田敦子のファンではないけれど本作は何度も観ているけれど、今回思ったのは、娘とお父さんの自立が核心、、というよりも本作も愛が核心であろう、変わらぬ愛を得るまでが四季を通して物語に表される。物語のなか主人公の自堕落が一貫して表される。人間だもん、一年ぐらいでそうそう変わることはない。でも驚きはある。前田の敦ちゃんである。彼女の所作と表情の豊かな百変化が創作の上では核となる。黒い家の大竹しのぶの開きっぱなしの眼にも見える敦ちゃんの大きな眼が、もちろんホラーではないし生活世界のなかそんなことしたら眼が乾きまくるので開きっぱなしはないが、眉毛などと連動して表情を素敵に生成する。ラストのショットは、ゴダール的現実の切り取りやジャッキーチェン的ラスト・クレディットでのNG集やアイドル映画の特典おまけ付きなどではなく、本作公開の前年にグループを卒業した敦ちゃんの素顔な感覚なんだろうな。敦弘的に敦子の素直の表出なんだろうな。娘は世間体に接するときは声のトーンを一段上げる。でも、内弁慶か、そして誰でもほとんどそうであろうか、家ではゴロゴロ。家事も父親任せ。自堕落な娘はいまの日本はダメだと憤る。日本の日常が四季に映る。自堕落な娘は可愛さ余って愛し百倍、娘だもん可愛いもん、父の手料理や掃除や洗濯、日常にあるもの普通の如くに表される。ときおり娘の変化への期待も父親像に垣間見せる。父親だもん、娘を見守る、と同時にちゃんと観察しているもん。山下敦弘らしく生活臭をほどよく香せる。テレビ観るより会話が大事なのか、食事中はテレビを消す。されど会話がない食事が続く。でもそこには無言の信頼関係があるようだ。親子なんだな。日常なんだな。父親が高価な時計を買い与えると、返してきて、と風呂の戸をこじ開け体を洗っている父親に直談判。家の経済効果的に非日常を怖れる娘ちゃん。靖子の出現により自堕落な日常が壊れることを恐れる敦ちゃん。子分を偵察に向かわせたり、覗いていたら見つかり自身で正体をばらしたり、別れた母親に東京に来る?と問われたり、自堕落な日常から小さな小さな、でも彼女にとっては大きな波乱万丈に出会う。靖子に断ったのか断られたのか、或いは照れか娘へ言うことの覚悟の前哨か、父親は今さら他人と一緒に住めるかと言ったあとすぐに、この夏が終わったらお前、家から出ていけ、と敦ちゃんに言う。しばしの沈黙、そして敦ちゃん、合格と言う。伏線の靖子に言った言葉が親子ふたりの愛を仄めかし、そして終盤の親子のそれらの会話がさらなる成長を託す言葉となり子供離れの宣言ともなる。出ていくのか出ていかないのか知らないしダラダラは終わることはないのかもしれないし、だけれど変わらぬ愛はいつもそこに、日常にある。







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