顔を購入したので観る。おもしろかった。じつのところ、かつて観た顔のことはあまりよく憶えていない。阪本順治作品が王手とトカレフだけではちょいと寂しいな、となり、誉れ高い顔も購入する。誉れ高いからきっとおもしろいだろう、と、ガロ系漫画の主人公なみないい加減な考えで購入、となる。憶えているところは藤山直美が海を泳いでいるところとホステスとして働いている主人公の勤務先に警察が待ち伏せするところ、も、後者の方は観て気づくが記憶違いで、福田和子を扱った別の映像作品で観たものがごっちゃになっているのだろう、そんなシーンはなかった。テレビに映る川越美加は観た後にウィキで知る。アナログ感覚の映像故にか川越、松ケ根乱射事件のときとは違っていても、それは同じような凄い形相。アクトであっても内なるものの露呈が露わとなっているセンス。顔も松ケ根乱射事件も川越の存在がとても大きい。テレビに映る彼女(そして松ケ根に佇む彼女)はホントに”夢だけ見ている”かのよう。続くショットで、夢見る女性である藤山が泣くのが納得できる。トイレの牧瀬里穂の怖いシーンも観ながらあったあった、と、思い出す。かつてはとても怖いな、となるも、今回はそうはなく、2度目だからかな、となる。このシーンこれこそ、アイドル女優脱皮の企図もあるのかな、となる。ぼくんちの観月ありさや本作の牧瀬、と、3M(註1)のうち2Mは起用しているのに、業界内でもお互いが多作なのにいまだ阪本と宮沢がタッグを組まれていないのは不思議であるが、きっとウチの娘は他のふたりと違って別格よ、と宣うりえママが、出演を認めたら3Mを暗に認めるようなもの、と出演断固反対なのかもしれない。いろんな事情があるのだろうな。
王手ではいろんな事情をかかえる人々が集まるかのようなトポス新世界が描かれたが、本作において、藤山によって体現化される主人公は或る場所にとどまるのではなく旅のなかいろんな事情をかかえる人たちと出会っていく。彼女もまたその場所に留まれないリーズンにより誰にも言えない事情をかかえる人となっている。されど、彼女は引きこもりから脱出することができ、夢に描いていた恋や自転車を漕ぐこと、海を泳ぐこと、そして無意識下の欲求も「体が熱い」と言って成し遂げてゆく。生きるのが辛いとは思いつつもヒトは人生のプロセス、様々な事を学び憶え実践している。ある意味、イマヘイとも共通するような「生き物の記録」が作品として成される。「生き物」だからこそ、そこには自ずと温かみが生まれる。岸部、佐藤、豊悦、國村、勘九郎、と、うさん臭さのなかに温かみを表すことに長けたアクターの配置、そして彼らに受け応えする藤山の可笑しく哀しく素晴らしく成す反応、それが味噌であり肝であるのが本作品。生きることは辛い、されど、そこには確かに生成が在ること、顔は確かに表現している。名前や服装を変えど顔は変わらない。しかし、顔は美しく生成している。
註1 90年代にアイドル的に人気を博した宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさのイニシャルを冠した言葉で、雑誌テレビなどを賑わした。
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