溺れるナイフおもしろかった。あまたある胸キュン映画とはかけ離れた胸キュン映画である。東宝でも別冊マーガレットでもないところがミソなのかな。小松菜奈が出ているのは知っていたけれど相手役は菅田か、と、ワイドショー的な感じで、出会い的なものも気になる(これが最初の共演かどうかは知らないけれど)。走るシーンがけっこうあるけれど、それらがよかった。いい絵である。走る切っ掛けや走り出し方などそれらも様になっていなければ、いい絵にはならないな、と、なるほどとなる。小松は野性的な魅力にあふれ、なんだか隠し砦の三悪人のときの上原美佐的なセンス。男に俺のものだと言われ従順にその意に沿い、いまどき珍しい女性像だな、となるも、彼女自身が表す力強さで、か弱いものはみせず野性味あふれだす。菅田は山猿のようでもあるが、それもまた黒澤明的な泥臭さを表わしており、ふたり観ているとなんだか時代劇を観ているかのように感じられてくる。要出典であるがウィキに、溺れる自意識とあったが、ナイフを自意識と捉えると作品心理を納得できる。されど、観ながら菅田のズタボロになった自意識を追っているかのように思うも、自意識は小松のものも表されているんだな、となる。なんだ、相手のことをコテンパンにすることが彼女の本望だったのか、と思うも、山戸結希は小松の感情に寄り添い紡ぎだしているかのように思え、最終盤の火祭りのところは、上白石の妄想だったのか、小松の遠隔セックス&妄想なのか、走っていったはずの菅田は踊っているし、どうしたの?となるも、女性の業がそこにはあるのだな、と納得する。バックナンバーの黄色のMV、ラストの見つめ合う(というか睨み合う)ふたりの表情、そこにちらつく(山戸結希の演出)。そこらのシーンもふくめラストの映画シーンのふたり(ふたりに変わる前の最初の方はなんだか角川青春映画の様相)、これは我々オーディエンスがいるシアター空間を供儀の場にしたいんだな、となる。ドレスコーズが出てきたのにはビックリする。
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