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2023年09月28日10:52

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アイネクライネナハトムジークと苦役列車


アイネクライネナハトムジークと苦役列車おもしろかった。

アイネクライネナハトムジーク、前に観たときからだいぶ経っての印象、それはあらすじはどんなんだったかほとんど全く忘れたけれど、上手くいい形に全ておさまった印象である。今回観ると、あのボクサーの彼がチャンプになってテレビ画面でするプロポーズの示唆や復活後のテレビ画面での妻への感謝の視線、と、ちょいとファンタジー的なところがあるな、という印象。でも、ロッキーもエイドリア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンとのたまうからそれでいいのであり、それに、これは映画だもの、それはそれでいいのではある。都会にそっと優しさを垣間見させてくれるファンタジーという趣きであり、全てがうまくおさまる。出会い、そしてそこから生まれる後の祭りとなるものは、はたして後悔も生むサッドネスか或いはやはり貴方と出会えてよかったハピネスかを問う、というのが本作だと思われる。だから、出会いがあるやいなやいきなり10年先に飛ぶのだろう。本作は脚本が鴨とコインロッカーのヒトだからか時間軸あちこちに登場人物たちが複雑にまわりまわるセンスであるが、彼らの素朴さ見せる顔や動きはやはり今泉印である。アレンやロメールと同じように、引きの絵における人物の見た目を捉えるディスタンスは内面でなく動作における心理描写をなす。今泉の場合はそこにヒトの素直さが捉えられる。思えば、愛がなんだの成田凌は、欲望でああいった行動をするのではなく、飯を食うや空気を吸うのと同じように欲求であーいった行動をする。だからギトギトしたものではなく、彼の素直な面のみがカメラアイに捉えられる(今泉の演出と成田のアクトの賜物であるが、ある意味、欲望で動くヒトよりより奇妙である)。登場人物たちのあまりにも素直な表情や所作は爽快さだけではなく奇異も生む。それが今泉イズムのように思える。また、愛がなんだの成田の一見する優柔不断さもまた今泉テクストの他においても表され、特色ではないかな。パンとバスの山下の妻に対する想いや本作の未華子一筋の三浦春馬にもそこにはなにか選択のなかでの優柔不断なものがある。それが霧が晴れスッキリするまでが今泉テクストに表されるものであると思える。霧が晴れてスッキリは多くの映画作品で表されるものであるが、今泉テクストではそれが視覚的にまんま表現される。

苦役列車、前に観たときの天からおちてくる森山未來と机に向かって小説を書き始める後ろ姿が鮮明に印象深く印象残る。覗き部屋から出てくるエスタブリッシュショットからはじまり、バブリーな時代のなかでそれと相反するようなサカグチアンゴ的な無頼文学空間があるようにも思えながら観ていきながら、きちゃない人間臭い空間は山下敦弘ワールドだなと思いつつも、エスタブリッシュショットで言い表さんとしているのか、なんだか森山の顔が亀頭に見えてきたりやがてリンダリンダリンダよろしくドブネズミに見えてきたり、されどこれが本能が目指すものへ、とかそうしたものなのではなく、オリーブ女子と高良健吾に正論毒舌を吐くときに噺家に見えてきたり、と、森山が体現化するその存在自体が本能であり本作なんだな、となる。ベックよろしくルーザーでありレディオヘッドよろしくクリープである。ゴールを目指すなのではなく、最初から彼なのである。身体と精神は前に進んでいる。最終盤、おーいお前らそこにいたのか、と走りって向かうも底に落ちるは不運続きなのではなく、ノスタルジるな、との噺家が自身にのたまう格言。書き始める前から彼は小説家なのである。それが表されるものが本作だ。




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