全日本プロレスとの興行戦争ですが、全日本プロレスは4月27日に横浜文化体育館で開幕する新日本プロレスの「第2回MSGシリーズ」に先んじて3月3日、横浜文化体育館から春の本場所「第7回チャンピオン・カーニバル」が開幕。
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ディック・スレーター、キラー・トーア・カマタ、ドスカラス、マリオ・ミラノ、ドン・ミラノ、ビリー・フランシス、ビッグ・レッドの外国人レスラーが参戦。
日本側は前年度優勝の馬場を初め、鶴田、ザ・デストロイヤー、グレート小鹿、大熊元司、ロッキー羽田のお馴染みのメンバーに加え、このシリーズより全日本プロレスに正式入団を果たした石川隆士が初参加、大木金太郎も参加しています。
総当りリーグ戦形式になって4回目でマンネリ化していましたが、この年はベビーフェイスの外国人としてスレーター、ドスカラスが入り、日本側も石川の出場で新鮮味が出ていました。
開幕戦(テレビ生中継、観衆4,000人満員発表)大会では鶴田とブッチャーが対戦し両者リングアウト、馬場はフランシスを破り白星発進、スレーターはカマタに反則勝ち。
第2戦は3月4日、後楽園ホール(観衆2,800人超満員発表)ではスレーターとドスカラスのベビーフェイス外国人同士が対戦し、スレーターのフォール勝ち、鶴田は石川と初対戦し石川が健闘、20分47秒の熱戦の末、鶴田がジャーマン気味のバックドロップから体固めでフォール勝ち。
第3戦、3月5日、千葉県館山市民センター(観衆2,300人発表)では因縁の馬場と大木が両者リングアウト、この日新人の越中詩郎(当時20歳)がデビューし園田一治(ハル薗田)に逆エビ固めでギブアップ負けしました。
第6戦の3月9日、愛知県体育館(テレビ収録、観衆4,800人発表)ではブッチャーとスレーターの外国人頂上対決が行われ、「右利きテリー」と呼ばれ日本ではテリー・ファンクのコピー的なファイトスタイルだったスレーターが奮闘、テリーvsブッチャー戦のような試合展開になりました。観客を熱狂させましたが両者リングアウトの無得点試合に。
この時の場外乱闘でスレーターには鶴田が、ブッチャーにはカマタ、大木が加勢し、ファンクス不在ながらファンク・ファミリーとブッチャー軍団の抗争の図式が出来上がりました。
馬場は前78年6月1日、秋田市立体育館でPWFヘビー級王座を奪われたカマタと対戦しリングアウト勝ち。普通に闘えばまず負ける相手ではないです。鶴田vs大木は両者リングアウト。
第13戦、3月17日、福岡九電記念体育館(テレビ生中継、観衆4,300人発表)大会では年に1度の師弟対決、馬場と鶴田が対戦、3年連続、公式戦では30分時間切れ引き分けとなりました。
セミファイナルはブッチャーとカマタのヒール対決で、ブッチャーがリングアウト勝ちをしています。
3月20日、京都・日本正武館(観衆2,800人満員発表)では翌80年の優勝決定戦カードとなる鶴田とスレーターが対戦、スレーターがリープフロッグにいくためにジャンプしたところ、鶴田の頭部が下腹部に当たりスレーターは場外で悶絶、鶴田のリングアウト勝ち。このフィニッシュは、74年7月25日、日大講堂でのデストロイヤーvsミル・マスカラスの焼き直しか…。
3月24日、静岡駿府会館(テレビ生中継、観衆4,500人超満員発表)大会。前年の第6回大会の優勝決定戦と同一カード、馬場vsブッチャーがメインイベント。2月10日、イリノイ州シカゴ・インターナショナル・アンフィシアターで馬場にPWFヘビー級王座を奪還されたブッチャーにとってはリベンジのチャンスでしたが、両者リングアウトの無得点試合に終わっています。
この時も試合後に馬場側に鶴田、スレーター。ブッチャー側にカマタ、大木が加わっての場外乱闘となっています。
この流れを受けて翌3月25日、日曜日の昼興行の後楽園ホール大会では鶴田とスレーターが初タッグを結成し、これまた初のタッグとなるブッチャー&大木組との対戦が決まりました。
セミファイナルは今シリーズ2度目の来日にして初の単独参戦となったドスカラスが鶴田と対戦。さすがにこのメンバーの中に入るとドスカラスは体格で負けてしまい、上位陣にはなかなか通用しませんでした。
ドスカラスはフライング・クロスアタック、さらにウラカン・ラナ狙いで鶴田に飛びついたところ、鶴田はこれを捕まえてパワーボム気味のエビ固めに決めて、フォール勝ちしています。(この項続く)
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