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2023年04月23日17:01

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アヒルと鴨のコインロッカーとアフタースクール


アヒルと鴨のコインロッカーおもしろかった。全編観てタイトル察すると、外国人差別や蔑視、融和、平和、人類皆兄弟とかなのか。でも外国人排斥的なものへの訴え的にはそこらへんは薄いようである。10年ぐらい前、これ、まわりはけっこうな数が観ていて、おもしろいと聴いていて、観ようと思いつつも食指が動かされずまんま10年ぐらいを経た感じである。たしか、伊坂ブームあったよな。。中村義洋の顔は写真から頭にインプットしたせいか、観る映画、あれ?このヒト、あれ?このヒト、となり、映画ではよく見る顔だなと、その印象の方が強い。本作品、キスキスバンバンのタランティーノもどきの作品かと勝手に思っていたら、日本的な、そこはかとない情緒観な作品であった、となる。冒頭はアメリカン・ドライな空気感もどきに、日本の風景がエドルシュー的ビルボードに、ダングラハム的ホームに移し替えられる。も、残りはかなりに日本的ウェット。濱田岳はオーディナリーマン。スピルバーグなんかのアメリカンのび太との違いはやはり、日本人的にやたら気を遣うところ。愛のための復讐譚も、アメリカにはデスウィッシュあれど、フランスには追想あれど、本作はやはりなにか近松門左衛門的なウェットなもの、でもそこが日本的に通じよい感覚。先に蔑視や排斥と書いたが、今の日本は知識を得てるのでそれはかつてほどはないだろうな(知識がないゆえ優越感を得るべく蔑視などが生まれる)。外国人との距離感が表されるのかな。それなら、その距離感が出会いから別れまでに表されている。そこおもしろい。ところで、なぎら健壱の容態は気になる。


アフタースクールおもしろかった。冒頭の少女にくぎ付けになり引き込まれる。ニューズウィークに作品評が載っていて、以前に内田けんじ作品そのうち観ようと思っていたこと思い出し観る。この作品があったから、中村義洋も観ること決意する。遥か昔どちらも観ようと思ったのは思ったのだけれど、食指が動かずそのままにしてそのうち忘れてしまう始末となる。こっちの方がタランティーノっぽい。アヒルと鴨と同じようにどんでん返しを表す。スティングもそうだけれど、人間はこうしたどんでん返しが快感になるんだろうな。あれ?山本圭が出ている病院のシークエンスのところで、婿が来ないので怒っている様子ではなかったっけ?あれ?他んところで家族的な会話なかったっけ?となるも、確かめるために見返すことはしない。きっと思い込みによる幻聴幻視なのだろう。俺はなんとも図に乗った奴である。そう、本作で騙されるのは、まわりを見えなくなっている図に乗った奴らなのである。だからこそ、キーストンコップス以来、図に乗った奴がバナナの皮でコロリと転んで大笑いが起こるのは庶民のこころのリプレゼーション、スカっとなるのだ。本作は子供心を忘れない。スマホを勝手に読もうとするときの小競り合いやパンケーキを食べたいというところとか、大人の放課後らしく、大人が子供らしさを表す。母性がひきたつ。五十嵐玲子=常盤貴子が光る。そこには騙されない。




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