ホワキンフェニックスはインヒアレントヴァイスにおいてもマスターにおいても嘘をつくアメリカ、リアルが希薄な社会のなか漂って生きているようであるが、父性的存在は喪失という理由から生まれた存在のようにも思える存在である、さいざんす。ビッグフットは相棒が国家誘導型殺人鬼に殺されたわけだけれど、マスターのシーモアホフマンのグルーもそのうさん臭さ、喪失によってもたらされたように思える。パンチドランクラヴにそうした存在がいたかどうか忘れたけれど、私の記憶が正しければ、たしかサンドラーの親族まわりは女性ばかりだったように思い出されるのだけれど、父親不在=アメリカのなにかの不在が表されていたのかな。あまり記号的に考えるのもいけないな。ウェイキングライフはおもしろかった思い出だけれど、私の記憶が正しければ、動いていない椅子とか机までグニョグニョ動いていて気持ち悪くなった記憶もある。エヴリバディウォンツサムは、デイズド&コンフューズドa.k.a.バッドチューニングが主人公(優しい兄貴分みたいなヒト)が選択を悩んでいて、それがアメリカングラフィティのドレイファスやロンハワードとかぶり、ちょいと二番煎じ的なところがあるの感じたりしたのだけれど、はなし戻してエヴリバディウォンツサムはビフォア三部作やボーイフッドを通過した後の作品ゆえ、もったいぶったストラクチャーから抜け出し、よりリアルをもってきていること、選択とかからの逸脱が私の記憶が正しければある。わんさか出てくる登場人物たち、誰が誰なのかよく分からないし、関係性とかそうした説明も抜きなのが、リアルでも外歩いて出会う人たちは知らないヒトばかりのような、或いはパーリーでも知らないヒトがワンサカだし、誰がどういった関係とか分からないまま噺に加わったりするときもあるので、それに似た新鮮な感覚を与えてくれるのが好きである、私の記憶が正しければ。購入したのはもったいぶって後回しにしてるうちの、そのブームがなくなり、観なくなりがちになるから、早めに観ることにしよう。
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