PTAにはシュトロハイム、ワイラー、ジョージスティーブンスがやってきたことを踏襲するかのようなつくりを感じてしまうけど、彼のテクストに表される、疑似家族社会における父性的存在との主人公の関係性、それはカザンのように父性的存在がもたらすイデオロギーに苦しみそれへの反抗が表されながらも、それを打ち負かすことではなく、スコセッシのように主人公自身に植え付けられてしまった社会的価値観を打ち砕くこと、というよりは、そのこと受け入れること、そして父性的存在との関係性の修復、すなわち、ハリウッド・クラシックが描いていたような、古風なもの、救済が表される。だから、ラストの方はそのライト感覚に拍子抜けしてしまうが、今日の時代において、そのこととても大事なことであろう。リンクレイターにおいては、日常に時間があるからこそ、ロマンス、サスペンス、と、エモーションに関連付けられる総てが生まれるわけであり、実時間というより、主人公が感じるままの、弛緩した時間であったり膨張した時間であったり、まるでドゥルーズのようなセンスで映画を表しているかのようだけれど、日常生活すなわち人生において、それがメモラーブルに大事なことであることをソッと教えてくれる、というそんなセンスなのかな。このソッということにいつも、またかと卒倒してしまう。
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