mixiユーザー(id:21258650)

2022年08月06日23:13

440 view

ストロング小林さん追悼(212)

76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」の開催真っ只中の76年4月26日、ニューヨークMSGのWWWF定期戦で大アクシデントが起きました。

前75年9〜10月の全日本プロレス「創立3周年記念ジャイアント・シリーズ」に初来日したスタン・ハンセンが「バッドボーイ」のニックネームでWWWF入りブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦、5分10秒、サンマルチノがアクシデントで首の骨を折るという重傷を負ってドクターストップ負け(ルールによりベルト移動なし)となりました。

サンマルチノは自宅近くのペンシルバニア州ピッツバーグの病院に入院し、「頸椎第6脛骨骨折」と診断されて全治6週間の入院という重傷を負うことに。

後に、この事故の原因はハンセンのボディスラムの投げ方が下手クソでサンマルチノが受身を取り損ねて頭から転落したものによるものと伝えられましたが投げ捨てる直前の写真を見るとサンマルチノもハンセンを信頼していなかったか、身体の預け方と顎の引き方が不十分であり、サンマルチノにも原因の一部はあったかと思います。

5月17日のMSG定期戦はサンマルチノが欠場、ハンセンは代打のイワン・プトスキーにリングアウト勝ちしています。モハメド・アリ戦を控えた猪木がリングに登場して観客に挨拶し歓声を浴びています。猪木はその足でイリノイ州シカゴに出向きAWAの帝王バーン・ガニアに挨拶(クローズドサーキット、有料衛生放送、今で言うライブビューイングの営業の為と思われる)

商売人であるガニアは猪木を歓迎し、アリ戦への協力を約束しましたが、新日本プロレスとAWAが業務提携するところまでには至りませんでした。(この年の10月にラリー・ヘニングがAWAルートで新日本プロレスに初参加しますが単発に終わっている)

5月28日、後楽園ホールから「ゴールデン・ファイト・シリーズ」が開幕。ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドス、ピート・ロバーツ、ジェフ・ポーツ、チャーリー・フルトンの外国人選手が参戦。当初はこのメンバーに加えてブルート・バーナードの来日も予定されていましたが、来日前にオハイオ州コロンバス郊外のフリーウェイで交通事故に遭い入院。来日キャンセルとなりました。

シリーズの主役は元北米タッグ王者チームのHブロンドス。前75年8〜10月の「闘魂シリーズ」以来7か月ぶりの来日。前年8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで猪木&坂口組の黄金コンビの保持する北米タッグ王座に挑戦。

国際プロレスにブロンド・ボンバーズとして来日した時の試合ぶりから王者組の楽勝防衛が予想されましたが、小狡い連係プレーで猪木、坂口組を翻弄、ノーコンテストとなりましたが内容では黄金コンビが完敗、ベルトはカリフォルニア州ルールによりコミッショナー預かりとなりました。

日本で王座決定戦が行われることになりましたが、猪木が左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)で長期欠場となり、ストロング小林が坂口と組んで王座決定戦に出場することになりました。9月22日、愛知県体育館で行われた坂口&S小林組とHブロンドスによる王座決定戦は1本目はS小林がカナディアン・バックブリーカーでBロバーツからギブアップを奪い先制しましたが、2、3本目をそれぞれ、Bロバーツ、JブラウンにS小林が連続フォールを奪われて2−1で惨敗。ベルトはHブロンドスが獲得。

10月2日、大阪府立体育会館では戦列復帰した猪木が坂口と組んでHブロンドスに挑戦。2−1で王座奪還に成功しましたが「やはり猪木でないとダメなのか?」という心象をファンに与えてしまったのは事実でした。

北米タッグ王座は75年の年内にイワン・コロフ&グレッグ・バレンタイン組、ジ・インフェルノス2号&3号と2度の防衛に成功した後、1月29日、大阪府立体育会館での猪木vsタイガー・ジェット・シン戦で負傷し王座返上。2月5日、札幌中島スポーツセンターでの王座決定戦で坂口&S小林組がシン&ブルータス・ムルンバ組を2−1で破り王座獲得。S小林は新日本プロレスに入団して初のタイトルホルダーになりました。

以後、グレート・ゴリアス&ブラック・ゴールドマン組、ペドロ・モラレス&ビクター・リベラ組と2度の防衛を果たした坂口&S小林組ですが、苦手のHブロンドスが満を持してベルトを狙っての来日。両チームによるタイトル戦は6月4日、札幌中島スポーツセンターで実現も1回のみ。シリーズ中のリターンマッチはなし。坂口&S小林組に取ってはベルト獲得以来最大のピンチ到来です。

「英国の魔豹」Pロバーツは前75年1〜2月の「新春黄金シリーズ」以来1年3か月ぶり3度目の来日。ビリーライレージムで鍛え上げられたランカシャースタイルのレスリングの技術には定評があり、3年連続の新日本プロレス参加となりました。

ジェフ・ポーツは前75年5〜6月の国際プロレス「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」以来1年ぶりの来日、新日本プロレスへはノーテレビ時代の73年1〜2月の「新春バッファロー・シリーズ」以来3年3か月ぶりの参戦となります。

後の82年6月に新日本プロレスに初来日するスコット・マギーの実父。1934年(生年は31年生まれ36年生まれとと諸説あり)3月13日イギリス・ウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォード出身の42歳。アマレスの猛者としてならし、51年イギリスでプロレス入り、イギリスではビリー・ジョイスを破り大英帝国ヘビー級王座を獲得。イギリス国内にとどまらず、西ドイツでも活躍。68年6月、国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」に初来日。欧州武者修行前の小林省三時代のS小林とも対戦しています。

カナダ・アメリカAWA地区でもファイトし、アメリカンスタイルのラフファイトを身に着け、オールラウンドなレスラーに変貌。

72年、英連邦のカナダへ遠征、スチュ・ハートが主宰していたカルガリーのスタンピード・レスリングに参戦。キラー・トーア・カマタやケンドー・ナガサキ(ミスター・ギロチン)を降してカルガリー地区北米ヘビー級王座を再三獲得、アブドーラ・ザ・ブッチャーともタイトルを争いました。73年1月にはカール・ゴッチのブッキングで新日本プロレスに来日、エース格のザ・タイガー(ザ・ブッシュワッカーズのブッチ・ミラー)に続く同じく英国出身のトニー・チャールズと互角の準エース格のポジションで組んで猪木、豊登、山本小鉄、柴田勝久らと対戦しました。

新日本プロレス遠征から帰国後の73年4月より、バーン・ガニア主宰のAWAに登場、アメリカマット界への本格的な進出を果たします。ビル・ロビンソンとのベビーフェイスの英国人コンビで活躍し、ニック・ボックウィンクル&レイ・スチーブンス組が保持していたAWA世界タッグ王座に再三挑戦した他、翌74年にはホースト・ホフマン&バロン・フォン・ラシク組(ホフマンもこの時はハーケンクロイツのマークの黒のマントをコスチュームに着用しナチス・ドイツギミックを演じた)を相手に英独タッグ抗争を展開しました。以降はアメリカを転戦し、太平洋岸北西部やテキサスのダラス地区などにも出場しています。

前回の国際プロレスの来日では、6月8日、埼玉県大宮スケートセンターで、IWA世界ヘビー級王座を獲得したことで「シングル王座防衛に専念したい」と返上し空位となったIWA世界タッグ王座決定トーナメントにブッチャー・ブラニガン(ジョー・ノボ)と組んで参加しましたが、グレート草津&マイティ井上組に敗れています。

猪木、S小林、小鉄、柴田たちとは久しぶりの対戦。坂口征二とは初対決となります。

新日本プロレス初参戦となるチャーリー・フルトンは1948年オハイオ州フィンドレー出身の27歳。。ザ・シークにスカウトされてデトロイトでデビュー。地元のオハイオやテネシーなどで活躍。テネシーではフランク・モレルとのコンビで南部タッグを獲得しています。モレルとはマスクを被ってザ・デモンズと名乗っていたいた時期もありました。73年2月、日本プロレスの「ダイナミック・ビッグシリーズ」に初来日。ギロチンドロップを得意技としています。

6月26日、日本武道館でのモハメド・アリ戦を控えて大会場開催は6月4日、札幌中島スポーツセンターのみ。最終戦は6月17日、栃木県佐野市民会館とこじんまりとした3週間の短期シリーズ。

全日本プロレスは新日本プロレスより1週間早く、5月21日、後楽園ホールより「NWAチャンピオン・シリーズ」が開幕。後半戦には前75年12月10日、フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターでジャック・ブリスコを破ってNWA世界ヘビー級王者となったテリー・ファンクが特別参加。

6月11日、蔵前国技館では試練の十番勝負第3戦として鶴田の挑戦が決定しています。

新日本プロレスはアリ戦がある為か、シリーズ中の東京の大会場での興行はありません。

日程のニアミスは後楽園ホールの全日本5月21日、新日本プロレスの5月28日のみ。国際プロレスは5月23日に後楽園ホールで「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」が開幕、2月に続き1週間の間に後楽園ホールで3団体が後楽園ホールで開幕戦を開催ししのぎを削ることになります。

国際プロレスは元日本プロレスの上田馬之助が逆上陸してフリー参戦。上田は73年の日本プロレス崩壊後、大木金太郎らと共に全日本プロレスに登場。しかし扱いの悪さと沖識名引退興行の中での約束事を破ったとして10月9日、蔵前国技館大会を最後に全日本プロレスを離れアメリカへ出発。全日本プロレスと日本テレビとは当時3年契約を結んでおり、契約期限切れを待って、新日本プロレスの猪木、全日本プロレスの馬場、国際プロレスのR木村に挑戦状を叩きつけ、国際プロレスの吉原功社長が真っ先に反応したものでした。
5 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年08月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031