わたし出すわ、おもしろかった。浮世絵大首絵のようにヨリが多いそしてバトンは渡されたと違ってヒキの絵が多く映画的に思えるも、トラックインしたかと思えばバックしたりとか構図的に単調な感じもする。なるほど低温映画か。ミニマルな佇まいである。同じ場所が表されるとき同じ構図で表され、それが反復も醸し出す。ときめきに死すもジュリーが低温してたしキッチンも映画自体がそうだったけれど、北海道が舞台ってのだけで低温なのではなく、バブルがはじけてからのハルぐらいから、なんだか悟りに入ったような、より低温なセンスになったのかな。冒頭に表される言葉、撮影所システムが終わった後においても作家主義披露ではなく興行師として愉しさ届ける森田芳光の信条にも思え、なるほどなとなり、その後のショーペンハウワーの言葉、金が欲望を終わらせないことと捉えひっかかり、ひょっとして小雪は悪魔降臨なのかと思ったりもしながら観始めるも、いきなり死人が出て、やっぱりと、小雪が笑うと悪魔の微笑みにイメージしてしまうけれど、そうなのかとなる。しかしながら、不幸も幸福も同じように表されるも、金の使い方をちゃんとできるヒトと出会えるとき、なるほどと頷け、これはデスノートではないなと理解する。最終盤に起こるミラクルも、それまでお金の話だったのに、関係性ないのが突然に話に入ってくるなと思ったけれど、功利主義にはとらわれない、思い遣りなるもの至極当然に頷けるものとなり頷くのである、うんうん。
ps
黒沢清風に人は表面だけしか見えない的なアプローチでやった海猫は、なんであそこまで恋に狂うのかが、も少し心理描写がなければ納得できないとこあったし、特典映像で仲村トオルが、なぜ好きになったかはたぶん顔だと思うけれど、と言っていたように、伊藤美咲の顔であり、あの男性が教会絵画の聖母と彼女の顔をイメージとしてリンクさせて頭の中で勝手に物語を生んでしまったのかなとなるも、まー顔から入るのもフツーかもとなるも、それでも、崖から飛び降りる男と女のストップモーション、もう破れかぶれにしか見えなく、封建ゴリラの佐藤浩市と小島聖に幸せになってくれと同情をしてしまったけれど、わたし出すわは表層を捉えていくメソッドがとてもフィットしているように思えるものとてもある。スタイル的にも、けっこうおもしろかった。
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